開催前年の立て札確認 城端むぎや祭、きっかけの地蔵尊祭 総踊りの参加呼びかけ

新町の麦屋節総踊りを案内する73年前の立て札を見る住民=南砺市城端の宥音塚

  ●新町町内会、伝統継承へ誓い新た

 城端むぎや祭の初開催前年である1950(昭和25)年に、地蔵尊祭で麦屋節の総踊りを行ったことを示す立て札が、8日までに南砺市内で確認された。祭り発祥の地といわれる城端地域の新町町内会は同日、地元の「宥音塚(ゆうおんづか)」で地蔵尊祭を営み、立て札を披露、住民が町内とむぎや祭の発展を願うとともに伝統継承への誓いを新たにした。

 宥音塚には、戦国時代に「心の平穏を保つのは信仰しかない」と考え、武士の身分を捨てて出家した宥音和尚の伝説が残る。10月8日に勤行のため何日も穴の中にこもっていた和尚が亡くなったと伝わっており、住民は毎年命日に地蔵尊祭を営んでいる。

 1950年に宥音塚の400年祭で地蔵堂が建てられた際、新町の住民が麦屋節の総踊りで祝った。「城端の名物にしよう」と機運が高まり、翌年、城端在住の富山新聞の米田稲介(とうすけ)記者らが仕掛け人となって、むぎや祭が始まった。

 昨年、勇崎誓一区長(68)が城端曳山祭(ひきやままつり)の山蔵で立て札を見つけた。長さ約170センチの板には「10月8日午後一時半 宥音塚地蔵尊堂落慶法要」「餅まき 午後四時、麦屋節総踊り 午後八時」と書かれ、73年前のものと分かった。コロナ明けの今年、地蔵尊祭で披露するとともに、懇親会も企画した。約100人の住民らが集まり、勇崎さんが立て札について説明した。

 勇崎さんは「新町は当時に比べて世帯数は半分以下に減ったが、地蔵尊祭を通じて麦屋節の歴史を伝えていきたい」と話した。

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