「夢もすべて破壊する。理解ができない」パレスチナ・ガザの中学生が原爆資料館で故郷と重ね合わせ「もう一度 日本に来たい」と広島を離れた日 再び故郷が戦火に

イスラム組織・ハマスとイスラエルの戦闘が深刻な状況になり、パレスチナ自治区のガザでは、ハマスが攻撃を続ける一方、イスラエルが地上戦に乗り出す懸念も高まっています。そんなガザから、先週、3人の中学生が広島を訪れていました。

5日、JR広島駅に到着したのは、パレスチナ難民のジェナーン・アブー・ユニスさん(14)、ラマ・オウダさん(14)、そしてファディ・アリさん(14)。3人はパレスチナ自治区のガザで暮らしています。

ファディさん
「第2次世界大戦で広島の原爆の落とされた歴史やどうやって復興していったのか、そしていろんな人に会ってどのような暮らしをしているのか知りたい」

3人は、パレスチナ難民を支援している国連機関「UNRWA」と日本が協力関係を築いてから70年の節目を迎えたことから来日しました。

広島では初めてお好み焼きも食べました。フォークとへらを駆使して食べると「グレート」と笑顔を見せます。14歳らしい無邪気な中学生です。

ガザで暮らしている3人は、学校ではバスケットボールチームでプレーしたり、KーPOPにハマっていたりと、世界のどこにでもいる子どもたちなのです。

たった一つの爆弾で街全体が破壊され、焼け野原となった広島。一つ一つの展示を真剣な眼差しで見つめます。

ラマさん
「正直…ガザでのこれまでの戦争を思い出しました。この光景に自分が全く驚かないことを悲しく思います。これはガザではいつも見慣れている景色だから」

3人が暮らすガザは、長年、争いが繰り返されています。暴力の連鎖は断ち切られることなく、多くの難民が貧困に苦しんでいます。破壊された町と傷ついた人々…。わずか14歳の3人は、その光景を何度も目の当たりにしてきたのです。

3人の足が止まった展示がありました。子どもたちが着ていた衣服です。ジェナーンさんは涙をこらえることができませんでした。

ジェナーンさん
「辛い・・・とても辛いです。ガザでの現実を思い出します。子供たちやその母親。まだ子供なのに・・・なんで? すべてを破壊する・・・夢も勉強することも全て・・・理解できない」

展示を直視することができず、引き返すこともありました。それでも、3人は78年前の事実と向き合おうと、何度も休憩を挟みながら懸命に歩みを進めていました。

この後、3人は、平和公園にある原爆慰霊碑に献花し、黙祷を捧げました。

ファディさん
「私たちは14歳の学生ですが、5度の戦争を経験しています。2021年には、同じような景色が目の前にありました。空にはロケット弾が光り、街が壊され、周りの大人たちは皆、とにかく泣いていました。何が起こっているか理解できない私たち子供達も泣くしかありませんでした」

ただ希望もみつけていました。

ラマさん
「日本は苦しだ歴史があるけれど、立ち上がった。私たちは今同じような苦しみがありますが、私たちも立ち上がりたい、今の広島のように」

6日、3人は同じ世代と交流するため、東広島市にある高校を訪問しました。まずは文化交流です。トートバックには日本のアニメキャラクターを描きました。道着に袖を通して柔道にもチャレンジします。

ラマさん
「(Q.柔道体験してみてどう?)とても面白くて楽しかった!」
ファディさん
「友だちに教えたい」

広島の高校生とは、同じ10代として共感しあう場面もありました。

武田高校の生徒
「どういうときに幸せを感じる?私にとってはおいしいものを食べること」
ラマさん
「私も」
ファディさん
「僕もおいしいものを食べるときが幸せ。日本食は全部おいしいからどのレストランに入っても幸せだよ」

交流を深めた3人は、ガザでの生活や将来の夢を紹介しました。

ジェナーンさん
「多くの人は、14歳の子供はまだ大きな困難にあったことがなく、朝起きてどんな服を着るかが最大の悩みなのだろう、と思うでしょう。私は5度の戦争と、数え切れないほどの紛争に遭いました。そして電気が通っているのは一日6時間だけで。ガザでの暮らしは苦しいことばかりですが、一方で助けてくれる大切な友だちの存在もあります。だから将来の私の夢は優秀なジャーナリストになって、人に寄り添い、世界中の人々にガザでの苦しみを知ってもらい、リアルな声を届けることです」
ファディさん
「僕は子供の頃からテクノロジーとか科学に興味がありました。それは世界にとって将来に必要なモノだと思うから。私は将来、科学者になって世界の発展、特にパレスチナやガザの発展に貢献したい」
ラマちさん
「みなさんすでに知っているかもしれないですが、ガザは封鎖されています。でも自分の体は動けなくとも、私たちの魂や心は自由で、世界中を駆け巡っています。私たちはただ平和で世界中に愛が溢れることを夢見ています。最もシンプルな人権が欲しいだけなのです。世界中の他の子供達のように平等に過ごしたいだけなのです」

3人の話を聞いて日本の高校生はどうかんじたのでしょうか。

生徒
「パレスチナのことは今まで平和学の授業であったんですけど、実際に住んでいる学生の方から話を聞くことはなかった。全然知らないことだらけだった…」
「同じ人間なのに、人権がないとか、そういうことが起きているのはひどいことだと実感しました」

3人にとっても、日本とのつながりを感じるきっかけになったようでした。

ラマさん
「(広島で)ガザでの苦しみを思い出した。だから悲しくもあったけど、私たちのことを理解してくれる、この苦しみを感じてくれる人がいるのだと思うと嬉しかった」
ジェナーンさん
「私たちは文化、宗教、言語は違うけれど、同じ心を持っている。とてもいい思い出になった。私の夢は外国に行くことだったけど、今の私の夢は、もう一度日本に来ること!」

しかし、3人が広島を離れたその日、ガザでは再び激しい戦闘が始まってしまいました。

ジェナーンさんのインスタグラムより 「またガザで戦争が始まってしまいました…」

広島で3人は、こんなメッセージを残していました。

ファディさん
「どうしてこのような状況を子供ながらに目にしなければならないのでしょうか。僕たちは、街の緑を見たいですし、普通に遊びたいですし、勉強もしたいと思っています。苦しみたくはありません」
ジェナーんさん
「私たちはただ世界中の他の子ども達のような普通の生活がしたいだけ。これがガザ地区に住む子供からの世界に伝えたいメッセージです」

3人は状況が悪化しているためまだガザには帰れておらず、落ち着くまでヨルダンの首都アンマンで過ごしています。しかし、ファディさんに「爆撃で友達が亡くなった」という連絡があり、泣き崩れたといいます。

3人は、原爆資料館の展示資料を懸命にスマホに収めていたのは、SNSで発信して、日本が焼け野原から復興した様子を伝えたかったからです。

広島で夢を語っていた3人。この夢を叶えられる世界に、笑って過ごすことのできる世界にしなければなりません。

© 株式会社中国放送