<戦後78年さが>硫黄島で戦死・市丸の生涯マンガ化 「ルーズベルトに与ふる書」現代語訳も

 太平洋戦争の激戦地・硫黄島で海軍司令官として戦い、戦死した唐津市出身の市丸利之助少将(1891~1945年)の生涯を、歴史漫画家の磯米いそよねさん(66)=東京都=が、漫画『硫黄島の戦いの記憶』として発表した。

 市丸は、戦死する直前にしたためた米大統領宛ての手紙「ルーズベルトに与ふる書」で知られる。手紙は米軍に回収され、デンバー・ポスト紙が1945年7月11日付で「ルーズベルト、日本海軍提督の書簡で叱責される!」と報じた。

 手紙で市丸は、日本が開戦に追い込まれた状況にふれて「およそ世界が強者の独占するものであるならば、その闘争は永遠に繰り返され、いつまで経っても世界の人類に安寧幸福の日が来ることはありません」と訴えていた。

 市丸は東松浦郡久里村柏崎(現・唐津市)生まれ。旧制唐津中を卒業後、海軍兵学校に進学。パイロットとして頭角を現すが、35歳の時に墜落事故で大けがを負い、予科練設立委員長-初代部長として少年たちの教育に当たり、“予科練育ての親”と呼ばれる。44年6月、硫黄島に赴任した。

 漫画は市丸の愛刀が硫黄島から米国に渡った後、遺族へ返還されたエピソードを軸に展開する。与謝野鉄幹・晶子が創刊した歌誌「冬柏」に、「柏邨はくそん」の号で歌を寄せていた歌人でもあり、市丸の歌を織り込みながら心情を表現した。

 「ルーズベルトに与ふる書」の現代語訳も添えており、磯さんは「敵が目前に迫る中、蒸し暑い壕ごうで、その後の世界冷戦の危機まで予測し、大統領に思いの丈を訴えていた。この人物を紹介しなくてはという思いに駆られた」と語る。

 執筆に当たっては唐津市も訪れて関係者や子孫に取材を重ねた。市丸の孫にあたる志村高子さん(62)=東京都=は「詳細な研究を踏まえていて、祖父の生涯をとてもリアルに感じた。特に『ルーズベルトに与ふる書』の原文は理解しにくい部分もあるので、この漫画を子どもたちにも読んでほしい」と話す。

 市丸のほか、馬術の五輪金メダリストで戦車隊を率いた西竹一、戦後出家して戦友の遺骨収集に当たった僧侶の和智恒蔵も登場する。(古賀史生)

 ▼『硫黄島の戦いの記憶』(展転社)はA5判、311ページ。税込み1980円。

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