江戸時代の広島にゾウがいたのか?クジラやリュウは許されたのに、描くことがNGとされたのは何だったのか?
広島拘置所の外塀に描かれた少し色あせた巨大な壁画は、制作秘話を聞けば聞くほど、鮮やかに見えてきます。
広島市の中心部からほど近い、広島拘置所の外塀に高さ約2m、横幅約200mという巨大な壁画が描かれているのをご存じでしょうか?
今は少し色あせてしまっていますが、赤や黄色、緑といった色彩で、にぎやかな城下町の様子が描かれています。
筆をとったのは、広島市出身で被爆者の故・入野忠芳さん。入野さんは、抽象画や現代的な作風を得意とする洋画家でした。
抽象画が得意な洋画家が、なぜ巨大な江戸時代を描くことになったのか?
1989年、広島城築城400年の記念事業として広島市から依頼を受けた入野さんは、江戸時代の風景や風俗が描かれた「江山一覧図」という絵巻などを元に、自由な発想で壁画を制作しました。
当時、広島市の観光課長として、この壁画制作に奔走した小林正典さんは、描き手を探す際に相談した日本画家の船田玉樹さんから入野さんを紹介された時は、驚いたと言います。
小林正典さん(当時、広島市の観光課長):
「日本画じゃないし、現代アートみたいな作風の人だと思っていたから・・・」
驚いたのは、小林さんだけではありません。制作依頼を受けた入野さんは、当時のRCCインタビューで、こう話していました。
入野忠芳さん:
「何しろこの壁の巨大さにびっくりした。でも(引き受けることを)迷うことはなかった。(画家としての)こんなチャンス、なかなかめぐってくるものじゃない」
その後、拘置所を管轄する法務省に、入野さんの下絵を提出。1つのモチーフを除いた他の部分については無事許可が下り、入野さんが現場に描き始めたのは、1989年5月のことだったと、小林さんは記憶します。
築城400年を祝う記念事業であるため、この年中に完成させることが必須でした。
2m×200mの巨大な画、わずか7か月で完成できるのか?!
巨大な壁面というだけでなく、全体が凸凹する上に、短期間で江戸時代を描く…。壮大なプロジェクトに、入野さんは、壁画のすぐそばに泊まり込み、弟子達と共に取り組んだということです。
入野さんは、制作前に意気込みをこう語っていました。
入野忠芳さん:
「水をテーマにということだけれども、単なる水ではなく、自然とか生きとし生ける物の生命…そういう風に勝手に大きく解釈した。今度の絵の中には、色んな生き物がいっぱい出てくる。人間・風景だけでなく、そういう命の側からのメッセージとして作ろうとしている」
精力的な取り組みの結果、わずか5か月後の同年10月17日には「壁画完成」を知らせるニュース映像が記録されています。
入野さんは、鮮やかな画の前で「壁の凹凸が強いため、カスレの技法をどう活かすかが問題だったが、まぁまぁの線までいった」と満足そうでした。
壁画には、登場します。
…え? 江戸時代の広島にゾウ?! でもファンタジーじゃない!
当時を知る小林さんは、これは史実に基づいた表現だと力説します。
小林正典さん(当時、広島市の観光課長):
「不思議に思って調べたんです。江戸時代にゾウが日本に来たことは、当時、大注目されていて、まさに『ゾウフィーバー』だったようです。かわら版も出たし、色んな本にも書かれていました。ゾウがたどったルートは長崎から江戸。広島でも道路が整備されて、橋も補強されました。ただ広島では、安全にゾウを見送るために『とにかく静かに』と御触れが出ていたんです。広島城下には、夕方着いて朝早く出発したゾウを、広島の人は簾の奥から見ていたはずです」
さらにこの壁画が面白いのは、その後の「修復作業」にありました。
完成して20年経った2009年、色あせた部分を蘇らせるべく、入野さんは、5年に渡って少しずつ壁画を塗り直しました。その作業は「修復」に留まらなかったと、妻の泰子さんは言います。
入野さんの妻・泰子さん:
「元々は、場面ごとのコマ割りがしてあったんですが、修復時に主人は『絵巻物』にしたいと考えたんです」
入野さんは、コマ割りの線を消し、背景の色を統一させて、場面につながりを持たせて描きかえていきました。
RCCの映像資料には、入野さんと妻の泰子さんが、仲睦まじく夫婦で壁面に向かう姿が残っています。当時取材した記者も、「泰子さんが通行人が通る度に挨拶されているのが印象的だった」と振り返ります。
入野さんの妻・泰子さん:
「元々は歩道に脚立を立てるために、見守りが必要で付き添ったんですけど、最後の年は心配で・・・」
ベテラン画家の妻が心配していたのは…? 命を懸けた修復作業
修復作業の最終年。実は入野さんの身体は、がんに侵されていました。泰子さんは、交通整理だけでなく、壁の汚れを落として画を描く前の下準備を手伝うという、まさ二人三脚の作業でした。
入野さんの妻・泰子さん:
「最後の40mをやらずに死ぬわけにいかないって、主人は本当に命懸けでやっていました」
その年のRCCのインタビューに、入野さんは「仕事をすると元気が出る。ここへ来ると。(完成して)来年からできないかと思ったら、ちょっと寂しい」と応えています。
描き変え作業を終えたのは、2013年5月31日。「絵巻」を元に描かれた壁画は、まさに「絵巻物」のような状態に仕上がりました。
そして翌日、入野さんは発熱し、その年の10月に亡くなりました。
壁画の中には、城下町の壁に鳥の絵を描く男性と、すぐそばに寄り添う女性の姿を見つけることができます。
2024年以降に始まる拘置所の建て替えで、壁画は取り壊される予定です。
妻の泰子さんら「保存の会」は、当初望んでいた現物保存については、あまりに高額な費用がかかるために断念。現在は、陶板画として復元し広島城近くで展示されることを望んでいます。
「保存の会」では、現物があるうちに、より多くの人に入野さんの思いを感じて欲しいと、見学会を開きます。
泰子さんは、「江戸時代の平和な時代だったと感じるような生命力を感じるような壁画。戦後、被爆によって色んなものがなくなってしまった広島が復興する生命力と重ね合わせて主人は書いたのではないか」と話します。
入野さんの下絵では描かれていたのに、実際の壁面には「描くべからず」とされたモチーフがなんだったのか? 当時を知る小林さんのガイドで聞くことができるはずです。
【広島拘置所外塀の壁画見学会】
10月29日(日) 午前10:00~ 午前11:00~ 正午~
●参加無料 ●予約不要