元衆院議員の亀井静香さんの胸像が出身地の広島県庄原市に建てられました。現在、86歳。「政界のレジェンド」と呼ばれる亀井さんに今の政治への思いを聞きました。
亀井静香さんの胸像は後援会や関係者が寄付を募り、庄原市の上野池のそばに建てられました。
元衆院議員 亀井静香さん(86)
「やめてくれって言ったんだけどね。照れくさいよ」
― あらためてご自身の出来上がりはいかがですか?
「ちょっとかわいくできすぎてね?」
胸像は24日、広島県議会議長を務めた故・木山徳郎氏のものと同時に除幕されました。亀井さんの兄の故・郁夫氏は木山氏と県議選で激しく争うなどして、双方のイニシャルから「KK戦争」と言われました。
亀井さん
「木山さんというのはね、偉大な政治家だったよ。わしが悪かったんよ」
「仁義をきちんと切ればよかった」と振り返りました。
亀井さんは1979年、42歳で衆院議員に初当選し、建設大臣や自民党政調会長などを歴任しました。その後、小泉政権の郵政民営化など新自由主義的な政策を批判し、自民党を離党。国民新党時代は中小企業の資金繰り支援の法律作りを担当大臣として主導しました。
「弱者びいき」で異彩を放った亀井さん。今も地元で根強い人気があります。
亀井さん
「『数』というよりも『一人一人』を大事にする。一人一人の人が何を思っているかということを政治家はしっかりとくみ上げていく、いとうことがなくなってくると、民主主義というのはいい制度じゃないんだな」
― 広島で言うと岸田総理となりまして2年が経ったわけなんですけれども。
「岸田はいい人間なんだよ。いい人間だ」
岸田総理の手腕を評価する一方、5月のG7広島サミットに触れ、こう苦言を呈しました。
亀井さん
「原爆を誰が落としたんだよ。アメリカが落としたんじゃねえか。慰霊碑の前で大統領にお詫びをさせにゃいかん、申し訳なかったと。それがあまりなかったでしょ。ああいうことはしちゃいかんな」
亀井さんは被爆者だった姉を白血病で亡くしました。6年前に政界を引退した後は、脱原発を唱え、再生可能エネルギー事業に取り組んでいます。
亀井さん
「こういう燦々たる太陽、あるいは風力、こういうものを使って私がエネルギーを調達すればいい、やれるんだから。やらんだけの話だろ?」
亀井さんは中国横断自動車道尾道松江線や備北丘陵公園の整備など、県北部の発展に尽力したことでも知られています。この日は、愛知県にある至学館大学の女子レスリング部の合宿所を庄原市に誘致することに意欲を示しました。
亀井さん
「至学館大学、あそこは日本一レスリングの強いところですね。庄原に合宿所を作ってくれるということで、おそらく女子レスリングのメッカになると思います」
― この地域をどのようにしていかれたいですか?
「とにかくね、どんどん地方へ地方へ地方へと引っ越していく。私なりに出来ることはしようと思っている」