ごまかし利かないシンプルさ…手作りで守る伝統、加える新風 アンズやチョコ、ゴマ味も 熊谷の「五家宝」

五家宝を持つ下田邦彦=埼玉県熊谷市佐谷田の紅葉屋本店

 五家宝はもち米をあられにし、きな粉で作った皮でくるみ、切り分けた菓子で、埼玉三大銘菓の一つ。熊谷市佐谷田の五家宝店「紅葉屋本店」は1765(明和2)年の創業で、14代目に当たる下田邦彦(56)が社長を務めている。

 材料は大豆、もち米、水あめ、砂糖だけ。きな粉になる大豆は焙煎(ばいせん)から始め、もち米も玄米で仕入れ、精米することから作業している。下田は「材料がシンプルだからこそ、ごまかしが利かない」と話す。

 生地は長さ1メートルの杉板を当てて転がし、円柱状に細長く伸ばし、包丁で5センチに切っていく。生地の状態はその日の温度や湿度によって微妙に違う。一定の力で均一に伸ばすには、職人の経験に基づく技術が不可欠。手作りだからこそ、あの食感が生まれる。

 下田は県立熊谷高校卒業後、慶応大学理工学部、同大学院を経て、総合電機メーカーのソニーに就職。「家業を継ぐことは考えてもいなかった」と言うが、父親の国臣が体調を崩したことから、家業に入った。その後、国臣は亡くなったが、同僚たちに教わりながら少しずつ仕事を覚えていった。

 「五家宝は中高年の世代が買ってくれることが多いが、若い世代にも味わってほしい」。伝統を守る一方で、定番の味以外に、青大豆やゴマ、アンズ、抹茶、アーモンド味なども取りそろえる。バレンタインデーの時期には、チョコレート味も販売している。

 8月にバラエティー番組「秘密のケンミンSHOW極」で五家宝が紹介されると、注文が殺到。大半が手作りのため生産量に限りがあり、途中で受け付けを中止するほどだったが、注文に対応するだけで1カ月ほどかかった。「手作りの良さは絶対にあるので、これからもお客さんの期待に応えていきたい」と話す。

 熊谷の伝統文化について知ってもらおうと、市内の全小学校28校で昨年度から五家宝教室も開催されている。小学校3年生が五家宝作りを体験し、地元名物に触れる機会を提供。以前は小学生が五家宝店に見学に訪れていたが、コロナ禍を契機に五家宝教室が開かれるようになった。下田は「子どもたちは皆が『五家宝は好き』と言ってくれる」とうれしそうに語る。

 3年前に国指定の難病を発症。1カ月以上入院したが、回復した。「値段をディスカウントするのではなく、ほかとは違う良い商品を伝え、五家宝を残していきたい」。地域の伝統を次世代に残すため力を尽くしている。(敬称略)

■「五穀は家の宝」から

 草加せんべいや川越の芋菓子と並び埼玉三大銘菓とされる五家宝の起源は諸説ある。

 文政年間(1818~29年)、水戸藩から忍藩に移り、成田用水の役人だった水野源助が水戸藩発祥の菓子「吉原殿中」を参考にして中山道で売ったという説や、武蔵国不動岡(現在の加須市)の鳥海亀吉が利根川の大洪水の際、干飯を蒸し、きな粉にあめをまぶし、棒状にした菓子を文化年間(1804~18年)に売り始めたという説、熊谷の旧奈良村の名主・吉田市右衛門が庶民に与えた焼き米の菓子を原点とする説などあるが、定説はない。名称は「五穀は家の宝」という願いを込めて、その名が定着化したとされる。

 県立文書館学芸員の井上かおりさんは「熊谷は穀倉地帯で、米や大豆を作っていた。中山道の宿場町だったが、全国的に広まったのは鉄道が整備された明治時代以降になってから」と解説する。

 2022年に、文化庁が認定する「100年フード」に、草加せんべいやフライ・ゼリーフライ(行田市)と共に選ばれた。現在は熊谷で卸売店を含めて11店舗があり、加須でも不動ケ岡不動尊總願寺付近に2店舗がある。

五家宝作りを体験する小学生たち=埼玉県熊谷市立玉井小学校

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