脳死判定1000例

 「場数を踏む」という言葉には、経験を積み重ねて頼もしく成長した誰かの姿を想像させるような響きがある。ただ、人間には良くも悪くも物事に慣れたり飽きたりしてしまう性質がある。だから「初心忘れるべからず」の戒めはジャンルを超えて輝きを失わない▲この国の移植医療の“場数”が大きな節目の数字を迎えた。臓器移植法に基づく脳死判定が累計で千例に達したことを伝える記事が日曜日の紙面にあった▲記事には〈臓器提供の場合に限って脳死を人の死とする概念が定着しつつある〉などの分析があり、前文は〈…患者の待機期間は長期化。提供数底上げが急務となっている〉などと結ばれていた▲移植を待ち望む人やその先でつながる生命のことを思えば、理解の広がりや提供数の増加が望まれるのは自然な結論なのだが、表現は気になった▲実は日曜の紙面で中面の関連記事に登場する岡山大病院の救急救命医、中尾篤典教授の講演を金曜に聞いたばかりだった。移植医療のトップを走る中尾氏は「人は誰だって死ぬけれど、簡単に死んでいい人は一人もいない」と丁寧な看取(みと)りの重要性を説いた▲改めて思う。人の死は数字ではないし、臓器は部品ではない。脳死判定や移植手術の実践例がどんなに増えても、その基本は忘れずにいてほしい。(智)

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