22年間1日も休まず診療 神戸・東灘の小児科閉院、その理由は? 院長、がんで声失い決意「全身全霊かけた。やり残したことはない」

地域に愛された「中澤小児科」院長の中澤道人さん。この日は閉院に向けた片付けが進められていた=神戸市東灘区御影1

 約22年間、土日祝日、年末年始を含め一日も休むことなく患者を受け入れてきた神戸市東灘区の小児科医院が今秋、閉院した。同区御影1の「中澤小児科」。一人で診療を担ってきた院長の中澤道人さん(72)が喉頭がんの手術で声を失い、引退を決めた。地域に愛された小児科医院の閉院に、多くの利用者から惜しむ声が上がっている。(杉山雅崇)

 「ずっと休みなく開いていた小児科が、突然休診になってしまった。お世話になった先生の体調が心配です」。今年6月、神戸新聞の双方向型報道「スクープラボ」に、神戸市内の女性から投稿が寄せられた。2人の息子が幼いころから世話になったという。

 東灘区医師会の協力で、入院中の中澤さんに取材することができた。声を失っており、筆談で経緯を聞いた。

 中澤さんは神戸大大学院医学研究科出身。神鋼病院などでの勤務を経て、1994年に中澤小児科を開院した。休日も中澤さんを頼ってくる親子の思いに応え、2002年から完全無休で診療するようになった。

 小児科を選んだのは「子どもが好きだったから」と振り返る。点滴と採血の技術を向上させ、子どもを押さえつけて処置をしないで済むような小児医療を志した。

 医院内にも中澤さんのこだわりが光る。待合室は動物のぬいぐるみや人形であふれ、壁には27個ものからくり時計。さまざまな音色や演出で、病気の子どもたちを和ませていたという。

 ソファは「子どもが寝られるように」と座高などを工夫した特注品。冷凍庫には、診察の「ごほうび」として子どもたちに配るアイスを大量に用意した。子どもの水分や栄養補給の一助にもしていたという。

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 75歳まで診療を続けると決めていた中澤さんが体調に異変を感じたのは、20年ごろ。喉の違和感だった。初めは「良性腫瘍では」と自己診断していたが、次第に痛みが激しくなり、水も喉を通らなくなった。

 しかし、治療を受けるには医院を休まなければならない。もし喉頭がんなら、声帯の切除につながる。声を失うことは、医師生命が絶たれることを意味した。

 悩み抜いた末、今年4月、休診して総合病院に入院した。喉頭がんの他、食道やリンパ節などへの転移も見つかった。声帯や食道などを切除し、再建する大手術を受けたが、その後肺への転移も発覚。根治困難とされ、今年5月に「余命8カ月」と宣告された。

 声を失い、満足に食事もできなくなったことで、閉院を決めた。「75歳より前に余命との闘いになったのは残念だ」としつつも、「医療に関しては全身全霊をかけてきた。やり残したことはない」と筆談で語った。

### ■投稿の女性「感謝しかありません」

 投稿した女性は「中澤先生は、私たちのために命を削っていた。いつも電気がついていた病院が暗いのは悲しいですが、感謝しかありません」と言葉を絞り出した。

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