京都の出版社が100年保管、大正期の貝類図鑑「原画」色鮮やか 国内外の研究者が注目

色鮮やかな「貝千種」の原画

 100年以上前に京都で出版された貝類図鑑の原画が、国内外の研究者から注目を集めている。老舗出版社の蔵で人知れず保管され、その存在を目にしたアメリカの研究者が同国の貝類の会誌に紹介したのが今夏のこと。緻密な筆遣いで貝の形状を表現し、100余年を経ても鮮やかな色合いに、「貴重な存在で、展示したい」との声が相次いで寄せられている。

 貝類図鑑は「貝千種」と名付けられた手刷木版和装本。美術出版社「芸艸堂(うんそうどう)」(京都市中京区)が1914~22年に計4号を出版した。明治半ばから大正期にかけて京都を拠点に活躍した在野の貝類研究者、平瀬與一郎(よいちろう)(1859~1925年)が編集した。

 ■在野の情熱詰まる

 平瀬は淡路国三原郡福良浦(現兵庫県南あわじ市)出身。20代後半に家族とともに京都御所近くへ移り、家禽(かきん)や種苗を扱う「平瀬種禽園」を営んだ。
 貝類の世界に興味を持ったのは、同志社英学校(現同志社大)のアメリカ人講師と知り合ったのがきっかけだった。自身は病弱で遠方へ貝類採集に出向けないため、広告などで採取者を募ってさまざまな種類を集めた。07年に日本初の貝類研究の専門誌「介類雑誌」を創刊。13年には国内外の珍しい貝類を展示する平瀬貝類博物館を左京区岡崎に開くなど、普及活動に尽力した。

 開館の翌年、貝類研究の集大成として出版したのが「貝千種」第1号だった。解説は貝類学者の黒田徳米(とくべい)が担当。原画は博物館の画工、西川純二(洋画家の西川純)が中心となって精密に描いた。平瀬は赤字運営や体調不良に直面しながら、22年に4号を出版したが、3年後、この世を去る。1000種を紹介する予定だったが、400種で終わった。

■蔵で確認後25年

 初版から84年たった98年夏、芸艸堂のスタッフが版木蔵で、紙に包まれた何かを見つけた。開けてみると、和紙に描かれたさまざまな種類の貝の絵―。ベテラン職員が声を上げた。「貝千種の原画や!」「原画があったんや」

 調べてみると、ホラガイやリュウキュウアサリ、ハリサザエ、ベニソデガイなど1~2号の原画(縦28センチ、横40センチ)20枚分ある。スタッフは包み紙に名前を記して別の倉庫に写したが、未調査のままさらに四半世紀が過ぎた。

■今夏、米会誌に

 事態が動いたのは昨年だった。アメリカから一人の研究者が、芸艸堂を訪ねて来た。ドレクセル大フィラデルフィア自然科学アカデミーのコレクションマネジャーを務めるポール・カロモンさん(63)。日本の貝類学に詳しく、平瀬の功績を紹介した龍谷大龍谷ミュージアム(下京区)の特別展「博覧」を見るために来日し、平瀬ゆかりの芸艸堂に足を延ばしたのだった。

 版木蔵を見学した際、「貝千種」の原画が現存していると聞かされ、「残っているとは思っておらず、感激した」とカロモンさん。今年6月にアメリカの貝類の収集愛好家団体の会誌に原画のリポートを寄せ、「標本の並べ方は西洋の基準に合わされているが、貝の美しさは日本的な手法で伝えられている。いつかアメリカでも展示したい」と話す。

 芸艸堂には、原画の存在を知った国内の研究者から展示の問い合わせが相次いでいるという。学芸員の早光照子さん(55)は「お披露目する機会をつくることができれば」と話す。

■版木にも注目/京都で培われた高度な技術

 「貝千種」の印刷技術も注目を集めている。浮世絵と同じで、絵師、彫師、摺師(すりし)が分業して作製した。版木の素材は山桜。多色刷りのため、版木の両面を使い、色ごとに図柄を彫って重ねていく。芸艸堂の蔵には、1~4号の版木が保管されている。

 出版当時、顔料は今のようにさまざまな色はなく、「墨の黒と、水性絵の具の赤、青、黄の4色。摺師が色を調合して原画の色を再現しました」と早光さん。フランスの印刷の専門家から「印刷の技術が驚異的。フランスで展示したい」との声も届いているという。

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