シーナ&ロケッツ - 結成46周年突入とシーナの誕生日を祝して今年も新宿LOFTでロケット発射! それでもなおバンドの歩みを止めない意志と原動力

鮎川誠の残した楽曲は残されたメンバーにとって宝物

──去年もこの時期にわれわれのインタビューに応えていただき、新宿LOFTでの45周年記念ライブへ向けて意気込みを語ってくださいましたが、鮎川誠さんは昨年5月に膵臓癌が発覚、医師から余命5カ月ほどと宣告されていました。いま思えば、LUCYさんと純子さんは常に万が一の事態を想定しながらライブに臨むという綱渡りにも似た日々を送っていたんですね。

LUCY:不安は常にありました。ライブはずっと続ける気ではいましたけど。

純子:次のライブができるかできないかは当日の朝になるまでわからなかったし、ライブが始まっても無事終えることができるのか心配も絶えずありました。だから「また次のライブができますように」と祈るような日々でしたね。

──奈良さんと川嶋さんは、鮎川さんから病気のことを知らされていなかったんですよね?

奈良:全然知らなかったです。

──それは、同じバンドのメンバーであっても鮎川さんが心配をかけたくなかったというのが一番の理由だったんですか。

LUCY:そうみたいですね。奈良さんと川嶋ベリーには言おうよとお父さんを説得していたんですけど、やっぱり心配させたくない気持ちが強くあったみたいで。

奈良:痩せたなとは思っていたんですけど、気はついてなかったです。宮古島へ行ったときにだいぶ疲れとるなあ…とは思ったんですが。

新宿LOFTで行なわれた『45回目のバースディライブ -45周年記念LIVE-』(2022年11月23日)

──去年の新宿LOFTでのライブはそんな体調不良を微塵も感じさせない、バンドの集大成と呼ぶに相応しい本当に素晴らしいライブでした。今年の鮎川さんの誕生日にはライブDVDもリリースされて、その出来もまた秀逸で。

純子:DVDとして残せたのは本当に良かったと思っています。

LUCY:DVDは“鮎川誠 LAST LIVE”というタイトルにしたんですけど、実際は“LAST LIVE”ではなかったんです。シナロケとしてはその後に沖縄と宮古島、チッタでの『LONDON NITE』でライブをやったんですけど、LOFTでのライブが凄く良かったのであえて“LAST LIVE”と銘打つことにしたんです。

──しかもLOFTでは、アンコール時にLUCYさんが鮎川さんに盟友であるウィルコ・ジョンソンの訃報を伝える一幕もあり、一層忘れることのできない一夜となりましたね。

LUCY:去年のLOFTは9月に康ちゃん(ジュークレコード店主の松本康)が亡くなったこともあって、康ちゃんが作詞した曲を重点的にやってみたんです。その康ちゃんの訃報は、九州ツアーが終わった日に聞いたんですよ。ライブが終わるまでは知らせないでほしいという意向があったみたいで。それで康ちゃんが亡くなったことを知ったお父さんは、ライブが終わった疲れと一緒にだいぶ落ち込んでしまったんです。その姿を見て心配だったので、LOFTのアンコール前の楽屋でウィルコの訃報を知ったときはお客さんのいるライブ中に伝えようとしたんです。一人でいるときだとまたがっくり落ち込んでしまうし、ライブの翌日に知らせると心身に良くないと思ったんですよね。

──鮎川さんが今年の1月29日に他界され、5月2日に下北沢で追悼ライブ音楽葬が行なわれて以降、シーナ&ロケッツ名義でのライブがこれまで5回ほどありましたね。

LUCY:たとえば久留米の『サマービート '23』は「鮎川さんを追悼したいし、シーナ&ロケッツがいないとイベント自体の開催ができません」とオファーを受けたんです。『高塔山ロックフェス』も同じようなケースだったし、各地でお父さんを追悼したいという意向に応えてライブをやってきました。でも、こんな感じでライブをやれるのは今年くらいかな? と思っているんです。まだわかりませんけど…。

──下北沢での追悼ライブの後、LUCYさんはSNSで「今までのように活動するつもりはありません」と発信されていましたね。

LUCY:お母さんが亡くなった後、お父さんがギターを弾き続ける以上はシナロケの音を止めたくなくてボーカルをやってきたんですが、お父さんがいなくなってしまって未だに茫然としているところがあるんです。でもシーナ&ロケッツの曲はやっぱりいいなと純粋に思うし、奈良さんも川嶋ベリーも健在なので葛藤はありますね。

──奈良さんもバンドを継続させたいと思うのでは?

奈良:このあいだの(大分と福岡で行なわれた)“Play The SONHOUSE”でも、「雨」とか何曲かサンハウスの歌を唄ってみたんです。全然唄えずにボロボロでしたけど(笑)。でも自分の歌はともかく、やっぱり曲が凄くいいんですよ。坂田(“鬼平”紳一)も言ってたけど、マコちゃんの残してくれた曲は僕らにとって財産なんです。だから“Play The SONHOUSE”は折を見てまたやろうと話してるし、そういう曲の良さに改めて気づけるのがライブのいいところですね。

ギタリストに澄田健を推薦したのは鮎川自身だった

──シーナ&ロケッツを続ける上で、鮎川さんの後任ギタリストとして澄田健さんが選ばれました。これはどなたの意向だったんですか。

LUCY:実はお父さんなんです。年末にお父さんが病院で検査をしたら、『New Year Rock Festival』の開催直前なのにドクター・ストップがかかって入院することになってしまったんです。「ステージで亡くなる可能性が高いから」って。だけど入院となるとコロナ禍で面会謝絶だし、私たち家族はお父さんともう二度と会えなくなってしまうんじゃないかともの凄く不安になりまして。それが12月27日頃の話で、お父さんが「『New Year Rock Festival』にはどうしても出たい、これは何があっても出なきゃいけないライブだから」と病院の先生に退院をお願いしたんです。

純子:実際、シーナ&ロケッツを結成してから『New Year Rock Festival』には一度も休むことなく連続出演してきましたからね。結局、お父さんが入院したのは2日だけで、病院の先生が理解のある方で、自宅で看病できるように手配を整えてくださって。それで、『New Year Rock Festival』の最中に万が一倒れてもライブを続けられるように、誰かサポートでギタリストがいれば少しは負担が減るのではないかと思ってお父さんに訊いてみたんです。「サポート・ギタリストを入れるとしたら誰に頼む?」って。

LUCY:そしたら「澄田なら弾けるやろ」って。確かに澄田さんはシナロケや“Play The SONHOUSE”をいつも観に来てくれてたし、お父さんの良き理解者なんです。「鮎川さんのここが凄い」とプレイの素晴らしさを熱弁してくれる方で。

奈良:意外な人選だったけど、なるほどなと思いましたね。

福岡CBで行なわれた『鮎川誠 追悼LIVE福岡<音楽葬>』(2023年8月14日)

──しかも、鮎川さんがメインで使用していた“ブラック・ビューティー”(レスポール・カスタム)を澄田さんが弾くというのが実に大胆だなと感じたのですが…。

LUCY:あのギターを使ってもらうようになったのは、8月の九州でのライブからなんですけどね。

純子:決して譲り渡したわけではないし、もともと弾いてもらうつもりも全然なかったんです。5月の追悼ライブのときも使ってませんでしたし。お父さんの部屋にずっと置きっぱなしだったんです。

LUCY:でも、ずっと使われないままのレスポールがだんだん可哀想になってきて。お父さんのレスポールは労働者みたいというか、50年以上ものあいだ過酷な労働に耐えてきたギターだから、ツアーにも出られずに部屋に置き去りになっていたのが何だか不憫に思えてきたんです。

純子:九州ツアーの前日、下北のスタジオでリハーサルをしていたとき、最後の5分くらいになってなぜか衝動に駆られた私がレスポールを取りに帰ったんですよ。その場の一員として、別に弾かなくてもいいから連れてきたい気持ちになったんです。それでスタジオにレスポールを持ち込んでケースを開けて、澄田さんがアンプに繋いで音を出したら空気が激変しまして。その場にいた全員がその変化に気づいて、ブワーッと鳥肌が立って…。

奈良:あれは凄かった。心底身震いしましたね。澄田君もそれまで同じ年代のレスポールを弾いていたはずなのに、“ブラック・ビューティー”はもう桁違いの音でした。

LUCY:音圧も音域も凄まじいし、いろんな音が鳴り響いて…。これはもう、ケースに押し込んだままじゃダメなんじゃないの? って。言葉では説明できない何かがある、止められない何かがあると思いました。

純子:ファンの中にはお父さんのギターを弾いてほしいという人もいるし、あのギターは鮎川誠にしか弾けないギターだから他人には絶対に弾かないでほしいという人もいます。賛否両論あるのは充分理解していますが、これはやっぱり弾いてもらうのが一番なんだと考え直したんです。

LUCY:大事な形見の品だし、お父さんの分身みたいなギターだし、私たちももともと誰かに弾いてもらうつもりはなかったけど、あのギターが「弾いてくれ!」と叫ぶのを止められなかったんですよ。

純子:それに、弾いた澄田さん自身もびっくりしていたんです。「なんだこのギターはッ!?」って。それまで使っていたギターとは全然違う! って。

奈良:そのギターが新品の頃から、マコちゃんと一緒に育ってきたわけじゃないですか。愛情を一身に受けて弾かれ続けたギターだし、鳴りが全然違いますよね。

純子:そこにあるだけで頼もしく感じるし、シーナ&ロケッツのメンバーはみんなあのギターの音を聴いて一緒にライブを続けてきたわけだし、あのレスポールもメンバーの一員みたいなものなんです。“ブラック・ビューティー”の音があってこそのシナロケなんだと、初めてそこで気づかされました。楽器は飾っておいてもダメで、使ってこその楽器だし、「床の間に飾るようなものはロックじゃない」というお父さんの言葉の通りなんですよね。

福岡CBで行なわれた『鮎川誠 追悼LIVE福岡<音楽葬>』(2023年8月14日)

──実際、澄田さんとのセッション、ライブ・パフォーマンスはやってみていかがですか。

LUCY:凄く楽しいですよ。澄田さんは経験値も高いし、あの世代の中でも際立ってブルースが大好きだし、古いロックンロールが基本にあるので阿吽の呼吸でやれるし、私が10代の頃からいつも近くにいてくれてるから、言葉で言わなくても理解してくれることが多くて、すぐに一緒に音を出せますね。何をやっても“No”を言わない人だからとてもやりやすいですし、信頼しています。さすがお父さんが見込んだだけのことはありますよ。

奈良:それは言えますね。マコちゃんの推す人は信用してますもん。あの人、見てるところはちゃんと見てますからね。

新宿LOFTで行なわれた『45回目のバースディライブ -45周年記念LIVE-』(2022年11月23日)

ツアーの本数を一本でも増やすマネジメントの苦悩と葛藤

──ところで、寺井到さんが監督を務めたドキュメンタリー映画『シーナ&ロケッツ 鮎川誠 ~ロックと家族の絆~』は、鑑賞されていかがでしたか。

奈良:劇場で2回観ました。

純子:本当に? 私たちはまだ映画館ではちゃんと観てないんです。

奈良:あれは絶対、映画館で観たほうがいいよ。凄い良かった。

LUCY:試写は小さい映画館で観たんですけどね。やっぱり泣いちゃいました。

奈良:テレビでやったときより写真が増えて、その選別も良くて。

ドキュメンタリー映画『シーナ&ロケッツ 鮎川誠 ~ロックと家族の絆~』

──寺井監督の映画は、陽子さん、純子さん、LUCYさんというご家族三姉妹の言葉がとても貴重で重要なポイントだと感じました。とりわけ、娘の立場としては父親に長く生き続けてほしいと強く願いながらも、マネジメントの立場としては一本でも多くライブをやることを望む鮎川さんを陰で支えた純子さんの葛藤、苦悩の日々は想像を絶するものだったのではないかと…。

LUCY:純ちゃんはお父さんがやりたいことをやるのを支えるためにマネージャーをやってきたし、お父さんに病院へ行くのを勧めたときに「俺の生きがいを奪わんでくれ!」と言われて凄い葛藤があったと思います。お父さんの身体を常に第一に考えていたから、ツアーをやめようと言い出したのも純ちゃんだったし、無理をしてまで仕事をさせることは絶対になかったし。

純子:ただ、バンドマンとして現役を貫き通したいというお父さんの気持ちを知ってからは、一本でも多くライブが実現できるようにブッキングしました。去年の夏くらいにお父さんが痩せ始めたときは、私もダイエットしてみたんですよ。北海道のファンの人たちに「鮎川さん、痩せたね」と言われたときも「一緒にダイエットしてるんです」と答えたりして。病気のことを一切公言しないとお父さんが決めた以上、絶対に隠し通そうと決めたんです。

──それはいつ頃の話ですか。

純子:札幌と富良野を回った7月ですね。

──ということは、“Play The SONHOUSE”という鮎川さんが自身のルーツへ立ち返る試みは、病気とは関係なく始められたわけですね。

純子:そうです。始めたのがたまたま最晩年だっただけで、全くの偶然なんです。

奈良:「サンハウスの曲をプレイするのは老後の楽しみやけ」って僕に言ってましたよ。

LUCY:去年の4月、レッドシューズで行なわれた松永(浩)さんの還暦祝いのライブでサンハウスの曲をプレイしたら、凄く楽しかったみたいで。

純子:あのライブで火がついて、サンハウスの曲をまた演奏できる喜びからツアーを回り、ライブアルバムまで作りましたからね。

LUCY:サンハウスの曲もお父さんにとって大事な子どもなんです。鬼平さんとまた一緒にライブができたのも良かったと思います。

奈良:“Play The SONHOUSE”を始めてからの鬼平はまるで生き返ったみたいだったんです。それまでの鬼平とは全然違って。

鮎川誠 Play THE SONHOUSE(2022年7月30日、京都 磔磔にて)

──その“Play The SONHOUSE”を含め、ツアーの本数を増やすことの葛藤が純子さんとLUCYさんにはあったのでしょうね。

LUCY:凄くありました。若い私でも3日連続のライブは身体に堪えるし、当時74歳で重い荷物を抱えて移動するだけでも大変でしたし。ライブの最中は純粋に楽しい気持ちしかないですけど、その前後は心身共に疲弊しますから。

奈良:そもそもあのレスポール・カスタムが重いもんね。

LUCY:コロナ禍で思うようにライブができなくなって、久しぶりにバンドで集まってリハをしたときに全部の楽器が凄く重く感じたんです。それだけ身体が鈍っていたからなんですけど、70歳を過ぎたお父さんにはあの感覚がきつかっただろうなと思います。

純子:だけどあのコロナ禍に見舞われた2020年でも、7月にはもうライブを再開させていたからだいぶ早かったですね。

LUCY:そうだよね。4カ月くらいしか休んでいなかったし。お父さんは常にライブのことばかり考えていたライブ人間だったんです。

純子:レコーディングもライブみたいな感覚だったんですよ。スタジオに入ったら即テープを回すのが鉄則で、練習なんてろくにせずに一発目の演奏がいいと。お父さんがウィルコと一緒に作った『LONDON SESSION』というアルバム(“#1”と“#2”の二作あり、1993年発表)も全部リハ音源で、どれも一発目のワンテイク目を採用しているんです。シーナ&ロケッツでも『ROKKET RIDE』(2014年発表)はそういうアルバムでしたよね。

LUCY:音を出す喜びに溢れるのが“せーの!”でやる一発目で、バンドは結局それが一番いいんですよね。

奈良:『ROKKET RIDE』の録りは、コードも知らされずにいきなり始まったんですよ。マコちゃんの手を見ながら「どこに行くんやろ?」と推し量りながら弾いてましたから(笑)。だけどその緊張感が良い演奏に繋がるのは確かなんです。

鮎川がリリース・プランからジャケットまでを計画していた『1979 DEMO』

──10月にリリースされた、セカンド・アルバム『真空パック』(1979年発表)のデモテープ音源『1979 DEMO』について聞かせてください。8月に放送されたDOMMUNEの特番を見て驚いたのですが、鮎川さんが生前、リリース・プランからジャケットまで全部作ってあったそうですね。

純子:そうなんです。今まで録りためてある音源のメモがノートにまとめられていて、『1979 DEMO』はその中のプロジェクトの一つなんですよ。お父さんの中でリリースしたいリストがあって、そのデータを共有していたんです。他にもファーストの『#1』(1979年発表)や初期の音源があったり、それをどの順番で出すかというプランまでお父さんは考えていました。

LUCY:私がシナロケで唄い始めてから2019年にGOKスタジオで録った音源があって、お父さんは生前、まずはそれを出そうとしていたんです。そのスタジオライブでかなり良いテイクがあるんですけど、そのときに2日間で70曲くらい録ってしまったのでボリューム的に問題があって。3枚組にするとヘヴィだし、かと言ってその中から選出するのも難しくて。

純子:仮に2枚組にしても、2枚目は聴かれないことが多いですからね。それで1枚に絞り切ろうと考えていた矢先にコロナ禍になってしまったんです。

『真空パック』のデモ音源集『1979 DEMO』

──そのスタジオライブ音源よりも先に『真空パック』のデモ音源をリリースしたのはなぜだったんですか。

純子:寺井さんの映画の中で当時のデモ音源の一部が使われたのもあったので。

LUCY:寺井さんが家に来て、その音源を発掘したんですよ。

純子:うちの家で何度か追加インタビューを受けたとき、いつか必ず出したいとお父さんが整理していた特別な音源が入った段ボールを寺井さんが見つけたんです。そこで『真空パック』のデモ音源の存在に気づいて、「これは凄い! 映画用に貸してください!」と頼まれたんです。

LUCY:「1日で返しますから!」ってね(笑)。

純子:お父さんが収集していたカセットテープやDAT、Hi8テープがとにかく膨大にあって、その中から寺井さんがいくつかピックアップして映画の中で使ってもらったんです。

──鮎川さん自身が相当なレコードマニアだったし、大変な収集癖を持つコレクター気質だったんでしょうね。

純子:そうなんです。だから想像を絶する量のアーカイヴ資料が残されていて、私たちが生きているあいだに出せるのだろうか? と武者震いしています(笑)。

奈良:サンハウス時代のデモもあるはずだし、シーナが初めて唄った曲のテープもあるはずですよ。マコちゃんがニコッと笑って「これよ」と見せてくれたことがあったし。

純子:残された音源の半分くらいはお父さんが自分でマスタリングまでしてあるんですけど、ファンの人がどこまで付いて来れるのかな? と思いますね(笑)。

下北沢シャングリラで行なわれた『鮎川誠 追悼ライブ音楽葬』(2023年5月2日)

──奈良さんの『1979 DEMO』を聴いた感想を伺いたいのですが。

奈良:最高にいいと思いますよ。このとき自分は参加していないけど、とにかく曲が全然古くないもんね。

純子:映画でも使われた、「ユー・メイ・ドリーム」のデモ版である「ユメ ユメ ユメ」というタイトルのテイクがあるんです。細野(晴臣)さんが作ったBメロのブレイクっぽいところがなくて、歌詞もちょっと違う感じなんですけど、それはそれで凄いグッとくるテイクなんです。

奈良:とてもいいよね。あと、「レイジー・クレイジー・ブルース」に「レイジー・クレイジー・レギー」というタイトルのレゲエ・バージョンがあったのはびっくりしましたよ。

LUCY:『1979 DEMO』は今まで出した音源の中で一番音がいいんじゃないかと思うくらい瑞々しくて最高だし、お父さんのギターってテープが合うと思うんです。この音源を聴くと、今のデジタル環境がどれだけ音を殺しているかを改めて感じますね。

奈良:テープはやっぱり音がいいんですよ。音の深い部分まで記録できてるし、デジタルは音の上と下を切っちゃうから。

LUCY:GOKスタジオでの音源が良いのもアナログ・レコーディングだったからなんです。大きなテープを回して録るやり方だったから。

──『1979 DEMO』に続くアーカイヴ・シリーズは今後また期待して良いですか。

純子:本当は去年の年末にリリースしようと準備していた作品があって、それはお父さんが自分の原盤で出したいと考えていた『#1』なんです。マスタリングが去年の12月30日の夜に上がってきたので、年始はずっとその音をチェックして聴き込んでいました。なので本来は『#1』を最初に出したかったんですけど、寺井さんの映画の件もあって『1979 DEMO』を先に出すことにしたんです。

LUCY:世に出回っている『#1』の再発盤は、マスターテープの盗品が使われているんです。マスターを盗んだ人がヴィヴィド・サウンドさんに売ったんですよ。

純子:ヴィヴィドさんはマスターが盗品だと知らずにその人にお金を支払ったと聞いています。だけどお父さんもお母さんも何も聞かされていなくて、これまで印税さえ一度も貰ったことがなくて、大ヒットした「レモンティー」だって実は今まで1円も貰ってないんですよ。大切なファースト・アルバムなのに、再発盤は曲順が違ったり、収録テイクが違うものだったり、オリジナルのエルボン盤とは異なる形で勝手に何度も再発されていることに困惑していたんです。その事態を正すためにも、お父さんは自分の原盤で正規盤を出し直したいと強く望んでいたんですよ。

お父さんだったらどうするだろう?

──鮎川さん亡き後のロケッツでユニークな試みだと感じたのは、さる10月21日(土)に高塔山野外音楽堂で行なわれたほうの『高塔山ロックフェス』なんです。ここではベースが穴井仁吉さん、ドラムが金崎信敏さんという、細野晴臣さんがプロデュースした『@HEART』(1997年発表)リリース前後のメンバーでライブを敢行されましたよね。

LUCY:あれはお父さんとお母さんが引き合わせてくれた、巡り合いのような機会だったと感じています。奈良さんと川嶋ベリーが神戸でライブがあってどうしても出られないということで、穴井さんとかなちゃんにお願いすることにしたんです。

奈良:あの日、マコちゃんとシーナはだいぶ忙しかったと思いますよ。若松と神戸を何度も行ったり来たりして(笑)。

LUCY:穴井さんとかなちゃんは、バンド・メンバーがいなくなってお父さんとお母さんが凄く苦労していた時期に支えてくれた2人なんですよ。

純子:お2人はウィルコとのジャパン・ツアーでも支えてくれましたね。

ウィルコ・ジョンソンとのジャパン・ツアー『Going Back Home 1999』(1999年5月)

──1999年5月ですね。移転前の新宿LOFT最後の日にロケッツがワンマンをやってくださった2カ月後なので、よく覚えています。

LUCY:今回の穴井さん、かなちゃんとのライブはとてもスリリングで面白かったです。特に穴井さんは遊びゴコロがあって、ライブ中に思いついたことをすぐやるので、突然初期のマニアックなテイクを弾いたり、笑っちゃってドキドキさせられました(笑)。「THE JUNGLE OF LOVE」[『ROCK THE ROCK』(2000年発表)収録]や「GET IT ON BABY」[『ROKKET SIZE』(1984年発表)収録]といった滅多にやらない曲を一緒にやれたのも楽しかったですね。

純子:「GET IT ON BABY」をLUCYが唄うのは今回が初めてで、凄く嬉しかったです。パンクでもありガールズロックでもあり、とても新鮮に聞こえました。

LUCY:私が中学生くらいの頃にまだ20代だったかなちゃんがバンドに入って、むちゃくちゃタイトで速いドラムだったんです。シナロケが一番パンクだった時期と言っても過言じゃない時代だったので、このあいだの『高塔山ロックフェス』ではわりとパンクで速いセットを心がけたんですけど、実際のプレイがもうびっくりするくらい速くて(笑)。奈良さんと川嶋ベリーの安定感とはまた違う面白さがありました。

奈良:その日、僕と川嶋が下山淳と一緒に出たチキンジョージの『ロックンロール・ジャンボリー』はマコちゃんを偲ぶライブで、高塔山と同じ時間にマコちゃんの曲が奏でられるというのが面白かったと思うんです。若松と神戸の二都市でマコちゃんの曲が同時に披露されるなんて、マコちゃんとシーナが導いてくれた巡り合わせですよね。神戸は神戸でスリリングで面白かったですよ。下山が「スーツケース・ブルース」のコードを覚えてなくて(笑)。

『SHEENA's 46th BIRTHDAY LIVE ─シーナ&ロケッツ 46回目のバースディライブ─』のフライヤー

──さて、来たる11月23日(木)には新宿LOFTで3年連続でシーナさんとシーナ&ロケッツが誕生したWバースディライブを開催していただきます。今までのように活動する予定はないとするLUCYさんも、このライブだけはやっておきたいと考えてくださったということでしょうか。

LUCY:お父さんだったらやろうとするんじゃないかと思って。お父さんが亡くなってから、シーナ&ロケッツが集まったときはいつも「お父さんだったらどうするだろう?」と考えて動くようになったんですよね。それに去年の11月23日、お父さんはあの病気の状況下で45周年ライブをやれたことを凄く喜んでいたんです。あの日を迎えて無事終えられたことがとても重みのあることだったし、お父さんなら47(シーナ)周年まで絶対に続けたいだろうなと思うので、今年もこの日だけはぜひ新宿LOFTでライブをやらせていただきたくて。

新宿LOFTで行なわれた『45回目のバースディライブ -45周年記念LIVE-』(2022年11月23日)

──LOFTとしてもとても有り難いです。スペシャルゲストがまた実に豪華ですね。現時点で公表されているのは、永井“ホトケ”隆さん、鈴木茂さん、アキマツネオさん、Plastic Treeの長谷川正さん、首振りDollsのJohnny Diamondさんという顔ぶれなのですが、幅広い世代と交流を育んできた鮎川さんとシーナさんらしい人選だと感じました。意外なことに、Plastic Treeの長谷川さんは奈良さんのお弟子さんだと伺いましたが。

奈良:昔、ベースを教えていたことがあるんです。彼もロケッツとサンハウスが好きなんですよ。

LUCY:いつもライブに来てくれて、凄いマニアなんです。

奈良:ヴィジュアル・シーンでロケッツを尊敬してくれるバンドはけっこういるんですよ。残念なことにこのあいだ亡くなってしまったBUCK-TICKのあっちゃん(櫻井敦司)もそうだし。

──ホトケさんと鈴木茂さんは鮎川さんとほぼ同世代なのでわかるのですが、元マルコシアス・バンプのアキマさんとも接点があるのは意外でした。

LUCY:お父さんと昔、アキマさんの工房にアンプを持っていってカスタムしてもらったこともあるし、父とは昔から仲良しです。『ギター・マガジン』の今年の5月号で鮎川誠の特集をやってくれたんですけど、そこでアキマさんにとても温かい言葉をいただいたんです。それにうるっときて、ぜひ今回のイベントにアキマさんをお呼びしたくて。この前のリハーサルでも「これ、本番やらなくてもいいから月に1回リハ入りたいな」と言ってくださって、演奏もシナロケへの愛が溢れていて胸が熱くなりました。

──首振りDollsのJohnny Diamondさんは、同じ北九州出身でロケッツに影響を受けた後進バンド枠の代表といったところでしょうか。

LUCY:そうですね。九州の新鋭のバンドで、ドラム&ボーカルのnaoさんはNHKのシナロケ・ドラマ『You May Dream』にも出演していたり、ジョニーさんはお父さんのお葬式のときもいろいろと手伝ってくださって、今回ゲストにぜひ呼んで一緒にやってみたいと思いました。

──せっかくなので、ホトケさんと鈴木茂さんについてもぜひ聞かせてください。

LUCY:ホトケさんは、お父さんとお母さんの古くからの盟友で、ブルースのセッションを昔からやっていた大切な仲間です。鈴木茂さんは、はっぴいえんどやティン・パン・アレーの頃からお父さんと交流があったギタリストで、お父さんの優しい笑顔が大好きだって言ってくださいました。私は初めて一緒にやらせてもらうので今からワクワクです。みんなシナロケの曲をやってくれるのも本当に嬉しくて。どうぞ期待していてください。

メンバーが一人でも生き残っていること自体が奇跡

──他にも、当日の現場でのみ明かされる豪華なゲストが2人いらっしゃいますが、それは来場された人だけのお楽しみということで。行こうかどうか迷っている人は絶対に行ったほうがいいと言いたいですね。

純子:寺井さんの映画の中で、シーナ&ロケッツのやってきたライブのことを「ひとつひとつのライブ全部が事件だった」とコメントしてくれた方がいて、私はその言葉がとても嬉しかったんです。私もLUCYも全く同じ気持ちだったし、お父さんとお母さんがやるライブはいつも凄いと感じていました。今回の46周年記念ライブも間違いなく凄いものになるはずだし、ぜひ観ていただきたいです。

LUCY:バンドの世界には再結成や解散を打ち出して商売に繋げるやり方がありますけど、シーナ&ロケッツは45年間ずっと歩みを止めずに来たんです。お父さんは周囲に心配をかけたくないからと病気のことは一切公表せず、シーナ&ロケッツをずっと続けると宣言していました。明日も明後日もライブがあるし、1年後でも100年後でもバンドをやり続けるぜ! という心意気だったので、熱心なお客さんですら「シナロケはいつでも観られるからまた今度でいいや」みたいな感じになっていたと思うんです。私はそれを近くで見ていて、凄く悔しかったんですよ。特に去年、病気が発覚して以降は「お父さん、もうすぐ死んじゃうかもしれないんだよ?!」という思いがずっとあって。

純子:「また今度行くね」と言われると、その“今度”がもうないかもしれないのに! と言いたくなるのを堪えるのに必死でしたからね。

LUCY:「シーナのいないシナロケは観られない」と言われたこともあったけど、お父さんが病を押して精一杯やってるんだから観てよ! と凄く思っていたし。

純子:そうやってお父さんもお母さんも一本のライブの重みを感じながらやってきたのに、それをストレートに伝えられないもどかしさと悔しさが絶えずありました。

コロナ禍に見舞われた2020年

高塔山ロックフェス(2023年10月21日)

LUCY:シナロケのライブは、中音が外音と変わらないくらいの凄まじい爆音なんです。もっと要領良くやれば、中音を整理して音を下げながら演奏して、それを爆音で聴かせる方法もあるのかもしれないけど、シナロケは常に裏表なく爆音一発勝負なんですよ。その状況下で唄うのはとても大変なことだけど、シーナがそうだったように、私は「自分の歌が聞こえないから中音を下げて」とは絶対に言わないようにしたんです。それを言ったら負けだし、シーナは絶対にそんなことを言わなかったので私もそのスタンスに倣ったんです。聞こえなくても何でも聞こえる音量で自分が唄えばいい、それで自分を出しきればいい。その思いで唄ってきたし、そうやって身を削りながらやってきたから一本のライブに懸ける重みが要領良くやれる人たちとは違うんです。

純子:いつも格好いいライブをやっていると、それがいつしか当たり前の基準になっちゃうんですよね。私は昔からお母さんのことをなんて凄いボーカリストなんだろうと思っていたし、いつのことだったか、ライブが終わった後に「今日のライブも本当に格好良かったよ!」とお母さんに言ったら「嬉しい…」と泣かれたことがあったんです。お母さんやお父さんくらいになると格好いいことが当たり前で、何をやっても「当たり前」に片付けられてしまうところがあったんですよね。私がまだマネージャーをやる前、20代の前半だった頃にシナロケがウィルコと一緒に回ったツアーのレポート記事が『DOLL』に載ったことがあったんです。そこで大御所だからこそ格好いいんだみたいなことが書かれてあって、私はその“大御所”なんて言葉で体よく片付けられた感じにブチ切れて(笑)、『DOLL』の編集部に抗議の電話をしたんですよ。そのときに編集長の森脇美貴夫さんに代わってもらって、「このライターが書いていることは格好良さが全然伝わらないし、“大御所”という言葉で片付けるなんてロックに対する冒涜ですよ!」と怒りをぶち撒けたんです。そしたら森脇さんが「君みたいな本当のロック好きがわざわざ電話してくれて僕は嬉しいよ」と言ってくださって、最後は良い塩梅に宥められたんです(笑)。いま思えば当時のシナロケはまだ結成20周年くらいの時期だったのに、その時点ですら“大御所”や“大物”なんて言葉で安易に片付けられる風潮が本当に許せなかったんですよね。

LUCY:バンドはいつなくなってもおかしくないし、実際、私が大好きだったバンドは古今東西で一つも残ってないんです。今にして思えばもっとCDを買っておけば良かった、ライブを観れば良かったと後悔しかないし、バンドはメンバーが一人でも生き残っていること自体が奇跡みたいなものなんです。

奈良:そういうバンドの在り方もそうだけど、日本のエンターテイメントは全体的に演者に対する扱いが軽すぎるんですよ。その昔、ハリウッドで仕事をした後の(松田)優作さんから「日米じゃ演者に対する扱いが全然違うよ」と話を聞いて、優作さんがお金を出してくれてニューヨークへ行ったことがあるんです。そこで目の当たりにしたのは、たとえば日本で俳優がボクサーの役をやるなら自分のギャランティの中からボクシングを習得する費用を捻出するけど、向こうは最初からギャラとは別にその費用が全額保障されていることだったんです。撮影中もその俳優のために大きなバスが個別に用意されて、そこで一流の料理人が栄養管理をしながら最善のメニューを提供する。全世界を相手にするマーケットだから根本的にスケールが違うのかもしれないけど、エンターテイメントの在り方に対する意識が日本とはあまりに違いすぎるのを感じずにはいられませんでしたね。そういうプロ意識みたいなものは、シーナも徹底していました。僕がずっと忘れられないのは、「私は1時間半の女優やけんね」というシーナの言葉なんです。明日は明日の自分が別にあるし、ステージに立つ一期一会の瞬間と常に真剣に向き合っていた。だから「また今度でいいや」という観る側の視点とは別次元でずっと進化し続けていたんじゃないですかね。

シーナと鮎川がそこにいるのを感じる不思議な体験

──今回の46周年ライブは、豪華ゲストが入れ替わり立ち替わり登場してシーナ&ロケッツの不滅のレパートリーを披露する、例年以上にパーティー感の強い趣向になりそうですね。

純子:そうですね。今回のライブはすべてLUCYがプロデュースしていて、ゲストの方々にシーナ&ロケッツのどの曲をやりたいかを直で話しているんです。意外な曲が返ってきた方もいて、凄く面白いことになりそうです。

LUCY:5月2日の追悼ライブ音楽葬もそうだったんですけど、ゲスト一人ひとりに「これどうですか? あれはどうですか?」と訊くのがとても楽しいんです。そのゲストに唄ってもらいたい曲、似合いそうな曲を無茶振りするのも楽しんですよ(笑)。

新宿LOFTのオープン10周年(1986年)を記念したライブのパンフレットより

──普段はあまりやらないナンバーが披露されることもありそうですか?

LUCY:はい、その予定です。

──奈良さんと川嶋さんが準備で大変そうですね(笑)。

奈良:そんなこともないですよ。

LUCY:奈良さんは何でもできますから(笑)。

奈良:そんな器用じゃないけど、ロケッツは曲が多すぎるんです(笑)。いい曲ばっかり、マコちゃんは本当によく作ったなと思います。サンハウスの頃からずっとですからね。

LUCY:奈良さんはどんな曲でも奈良さん節で弾いてくれるし、とてつもなく凄いプレイヤーですよ。

純子:サンハウス時代からお父さんの唯一の相棒ですからね。

──話を伺っていると、現編成のシーナ&ロケッツがやるべきことはステージを含めてまだたくさんあるように感じますが。

奈良:僕もそう思うんですよ。

LUCY:そう言ってもらえるのは嬉しいんですけど、私が唄うことで冒涜にならないかな? という思いが絶えずあるんです。

純子:私はこのあいだの『高塔山ロックフェス』で山の頂上で物販をしていて、そこでいつもライブに来てくださるファンの方々と会ったら思わず涙が溢れてしまったです。お父さんがギターを弾く姿をもう見せられない悔しさもあるし、お父さんがもういないのにシーナ&ロケッツを観に来てくれた嬉しさもあったし、いろんな感情が重なって。だから以前のようにはできないかもしれないけど、ライブはやっぱり続けたいんですよね。悲しいことばかり考えていると塞ぎ込んでしまうだけだし、生の音楽を全身で浴びると身体が凄く元気になりますし。ステージに立つLUCYが年々頼もしく感じるし、『高塔山ロックフェス』でも「シーナやったら心が一つっち言いよるよ」みたいなことをさらっと自然に言えるようになったし、そういう一言で私はもう嬉しくて涙腺崩壊してしまって(笑)。お母さんとお父さんがいなくなっても未だにシナロケが音を出せている喜びもありますし。

奈良:凄いことですよね。まさにマコちゃんとシーナが残した財産だと思います。肉体は滅んでも楽曲やバンド、その精神性は生き続けていますから。

LUCY:澄田さんが、二度お父さんが夢に出てきて言われたらしいんですよ。「(ステージを)見よるよ」って。

高塔山ロックフェス(2022年10月22日)

──シーナさん亡き後、鮎川さんがライブを続ける理由の一つとして「ステージに立つとシーナに会えるから」と話していましたが、その感覚はLUCYさんもありますか。

LUCY:やっぱりありますよ。ライブの前の日から首が重くなったりするし、シーナが亡くなってから私が出るライブでは必ず首を壊してしまうんです。私が唄ってないときに声が出ていたこともあったし、すぐそばにお母さんがいるんだなといつも感じています。

純子:LUCYは以前、霊感の強い芸人さんに「凄い憑依体質ですね」と言われたことがあったよね。

LUCY:そう、「すでにもう30人くらい付いてます。優しいから許容しちゃうんですよ」と言われて。

純子:音や光といった目に見えないものには人の念や思いが乗りやすいと思うし、何かのメッセージを伝えようとしているのかな? と感じることがありますね。たとえばお母さんの亡くなった時刻ちょうどに私のパソコンが2台全壊して全データが飛んだたり、若松の実家のお母さんの部屋にある時計まで止まっていたり。お母さんが亡くなって、その魂が天に昇っていく瞬間にいろんな所へ思いが飛んでいったんじゃないかと思って。

LUCY:私自身は霊的なものをそんなに信じないタイプなんですけど、音や電波、光というのはエネルギーの一つだし、ある学者さんが言うには「見えないものに魂が宿るのを信じるか信じないかはその人次第だけど、好きという気持ちだって目に見えないじゃないですか」と。言われてみれば世界は目に見えないもので溢れているし、これだけ不思議なことが起こると霊的なものの存在を認めざるを得ないですね。それに、先日の『高塔山ロックフェス』のステージで私の髪にお父さんの顔がべったり写っている写真をファンの方がSNSに投稿していて。あまりにくっきり写っていたので合成かな? と思ったんですけど、プロジェクターでそんな画像を投写する演出なんてなかったし、やっぱりお父さんが来てくれたんだなと思って。

純子:お母さんが亡くなった直後のライブで、ステージの真ん中で謎の光が放たれて、それがお母さんの姿に見える写真もありましたからね。

奈良:以前、鹿児島のライブで、足に障がいのある車椅子の女性の方が果物を持って楽屋を訪ねてくれたことがあったんです。その方を見たマコちゃんが「足、悪いとね? ロック聴いたら治るよ」と言って、ロケッツのライブに通い続けたら本当に治ったんですよ。それまでは痩せ細っていたのに今じゃ普通に歩けて、酒も煙草もやり放題で(笑)。

純子:その方が言うには、「シナロケのライブでもの凄いパワーを貰って、今はどんどん元気になってる」って。

──わかる気がします。鮎川さんのギターは非常にポジティヴなオーラを発していましたから。

奈良:弾いてる指はとても優しくて綺麗なんですけどね。その足の悪かった方の話を聞くと、やっぱり音楽の力って凄いと感じますよ。

一瞬の煌めきこそがロックの醍醐味であり、鮎川はそれを探求し続けた

──来年の活動プランは現時点である程度まで考えてあるんですか。

純子:ライブに関しては全くの白紙です。今年は全国各地からライブをやりませんかとお話をいただいて、どうするかをメンバーと一緒に考えるところから始めていて、現状決まっているのは46周年ライブまでなんです。今後どうなるかはまだわかりません。

奈良:だからこそLOFTはぜひ観に来てほしいです。ライブはやっぱり生きものだし、いくらこっちに続けたい気持ちがあってもできないこともあるし。それに僕はマコちゃんが残してくれたものを生かしてこの先もずっとライブをやり続けたいんです。マコちゃんは本番の10分くらい前にその日のセットリストを書き出すから、いつもひやひやしていたんですよ(笑)。「マコちゃん、その曲練習しとらんよ?」と言っても「よかよか。ガーン! とやればいいたい」なんて言われて(笑)。

LUCY:「できんと?」ってよく言われましたからね。こっちも「やれるよ!」と強がって(笑)。

奈良:そういうのはね、マコちゃんが仕掛けてるんですよ。普通に、シーナ&ロケッツを毎日聴いてたら知っとるやろ? ってことなんです。つまり僕らのことを試してるんですよ。僕は結局、50年間試されっぱなしだったんですけど(笑)。そういうのに慣れはしなかったけどスリリングではあったし、マコちゃんと一緒に音を出すのは他のミュージシャンには決してない面白さがありましたね。自分がスタジオ・ミュージシャンとしてセッションしても、マコちゃんみたいなギタリストを知っているから面白いギタリストと出会えることが少ないんです。ギュアーン! と凄まじく歪んだ爆音の中にとてつもない優しさのあるマコちゃんのギターは、まさに唯一無二でしたから。

2022年、ライブ終演後

LUCY:お父さんの鳴らすギターにはときめきみたいなものがあるよね。ああいう一瞬の煌めきこそがロックの醍醐味だと思うし、それをずっと追い求めていた人でした。

奈良:74歳までずっと現役であり続けた人だからね。僕はもうすぐ72歳になるけど、自分にそれができるか? と思いますもん。

LUCY:奈良さんはどんなプレイヤーと一緒にやってもしっかりと音楽にしてくれるんです。それが本当に凄い。バンドを建築にたとえると、ベースが地均しをして、ドラムが杭を打って、それにギターが乗っかって家を建てるみたいなイメージですけど、奈良さんはそれを全部やれちゃう人なんですよ。

奈良:全部マコちゃんのおかげですよ。18歳のときに初めてマコちゃんと会って、サンハウスに入って、それからずっと音楽の勉強だったんです。マコちゃん自身がどれだけ有名になってもずっと音楽の勉強をし続けていた人でしたから。どんなジャンルのことも、楽器のことでもマコちゃんに訊くと明確な答えが返ってくる。あの姿勢は僕らも見習わないといけないと思いますね。

──長々とありがとうございました。来年もまたこの同じ時期にインタビューできるのを楽しみにしています。

LUCY:こちらこそまたよろしくお願いします。純ちゃんの言う通り来年の活動は未定ですけど、お父さんの意志を継いでアーカイヴ作品のリリースは続けていくつもりだし、そのリリースに合わせてライブをやれたらいいなとは考えているので。それに2024年の11月23日はバンドが47(シーナ)周年突入を迎えるし、またぜひ新宿LOFTでお祝いのパーティーをやらせてもらえたら嬉しいです。お父さんとお母さんもきっと来てくれるはずですから。

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