磐田、大宮、岡山、栃木でプレーした上田康太が現役引退! J3昇格消滅のクリアソン新宿が最後のクラブに「幸せなサッカー人生でした」

19年のプロ生活を終える上田康太[写真:Getty Images]

クリアソン新宿は9日、MF上田康太(37)の現役引退を発表した。

特例が認められ、J3クラブライセンスを取得した新宿。しかし、最大のネックであったJFLでの2位以内という条件を達成することが3試合を残して消滅。J3昇格の可能性が潰えた。

2023シーズンを最後に現役を引退する上田はクラブを通じてコメントしている。

「私、上田康太は今年限りで現役を最後にする決断をいたしました。サッカーを6歳ではじめて31年、プロになってから19年。人生の大部分をサッカーと一緒に歩ませてもらいました」

「サッカーがうまくなるだけでなく、サッカーを通じて素敵な方々と出会い、いろいろな感情や想いと向き合ってきたことで、人間的にも大きく成長させてもらったと思っています」

「クリアソンでは、仕事をしながらサッカーをさせていただきました。最初は、環境の変化に不安がありましたが、本気で両立を目指すことでサッカーの持つ可能性や、今まで見えていなかった魅力を感じることができました」

「信頼できる仲間たちと濃い時間をすごすことができたので、晴れやかな気持ちですし、この道を選んで、心から良かったと思っています」

「サッカー選手として、思い描いていたような理想に届かなかったり、不甲斐ない自分に落ち込んだり、悔しいことや悲しい場面もたくさんありました」

「でも、それ以上に大好きなサッカーを楽しめて、本当に、本当に幸せなサッカー人生でした」

「たくさんの方に応援していただき、勝利の喜びを分かち合えた瞬間は何事にも変えられない最高の瞬間でした」

「ここまでサッカーを続けられたのも、自分を必要としてくれたクラブ、クラブに関わるすべての方々、自分の良さを伸ばしてくれた指導者の方々、偉大な先輩、友人や仲間たち、どんな時でも応援していただいたファンの皆様のおかげです。これまでの自分の人生に関わってくださったすべての方に感謝いたします」

「そして、良い時も悪い時もそばで笑わせてくれた妻、いつも自分の考えを尊重し息子のサッカーを楽しみ続けてくれた両親に、心からありがとうございますと伝えたいです」

「これからのことはまだ決まっていませんが、サッカーで培ったものを誰かの、何かのために発揮していきたいと思います。サッカー選手ではなくなっても、チャレンジし続けます。これからも上田康太をよろしくお願いいたします」

上田はジュビロ磐田のユース育ちで、2005年にトップチーム昇格。左利きのゲームメーカーとして期待され、中盤のトップ下やボランチで起用。左サイドバックでも起用された。

2011年に大宮アルディージャへと完全移籍。大宮でも初年度で31試合に出場するなど、ゲームメーカーとしての期待が高かったが、監督交代などもあり2年目から控えに回ることに。2014年にはファジアーノ岡山へ期限付き移籍すると、レギュラーになるも、2015年には磐田に完全移籍して復帰した。

復帰した磐田ではゲームキャプテンを務めるなどした中、2018年に岡山へ完全移籍で復帰。レギュラーとしてプレーも2020年に退団すると、2021年は栃木SCでプレー。2022年から新宿でプレーしていた。

J1通算203試合10得点、J2通算194試合15得点を記録。JFLでは通算43試合1得点を記録していた。

◆所属クラブ
2005年〜2010年:ジュビロ磐田
2011年〜2014年:大宮アルディージャ
2014年3月〜12月:ファジアーノ岡山 (期限付き移籍)
2015年〜2017年:ジュビロ磐田
2018年〜2020年:ファジアーノ岡山
2021年:栃木SC
2022年〜2023年:クリアソン新宿

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