奈良の鹿は「神の使い」…なのに虐待? 保護団体、収容しすぎで過密、栄養不足 背景に深刻な農業被害

天然記念物「奈良のシカ」=10月

 奈良公園を訪れると、観光客から渡されたせんべいを勢いよく食べる鹿の姿が見られる。餌を見つけて一目散に駆け寄り、けなげにお辞儀をするような仕草を見せる度、歓声が上がる。この公園には、およそ1200頭以上が生息している。
 奈良と鹿の関わりは長い。春日大社には奈良時代の768年、祭神である武甕槌命が鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)から白鹿に乗って奈良市の御蓋山の山頂に降り立ったという言い伝えがある。この白鹿の子孫とされているのが奈良の鹿で、「神の使い」として大切にされてきた。現在は文化財保護法により天然記念物に指定され、保護が強化されている。
 ところが、奈良のある場所では鹿が過剰収容され、栄養が足りず「虐待されている」と獣医師から指摘されている。しかも、収容しているのは奈良の鹿を保護する団体。一体なぜ、そんなことが起きているのか。(共同通信=佐藤高立、大河原璃子)

福島大の高木俊人客員研究員

 ▽奈良の鹿は独自の遺伝子型
 奈良公園の鹿は、独自の遺伝子型を持つことが分かっている。福島大などの研究チームは三重、京都、奈良、和歌山の4府県で野生のシカ294頭分の筋肉や血液を収集し、母から子に遺伝するミトコンドリアDNAなどを解析した。結果、遺伝子型は全部で18種確認されたが、奈良公園のシカはこのうちある1種。しかも、この遺伝子型は他の地域では見られないものだった。
 なぜなのか。研究チームに参加し、論文を執筆した福島大の高木俊人客員研究員(27)は指摘する。「森林の伐採や狩猟でシカが減る一方、奈良公園のシカは人間によって保護されることで独自の遺伝子型をもった」
 ただ、長く守られてきた奈良の鹿も、絶滅の危機に瀕したことがある。太平洋戦争の影響による食糧難で鹿の密猟が多発し、約80頭まで激減した。この時、保護活動に乗り出したのが「奈良の鹿愛護会」の前身の団体だった。

保護施設「鹿苑」の特別柵に収容されているシカ=10月、奈良市

 ▽柵の中でやせ細る鹿たち
 この愛護会が運営する保護施設が「鹿苑」。問題は、このうち「特別柵」と呼ばれるエリアで起きた。奈良の鹿は、地域ごとに保護のされ方が異なっている。奈良公園周辺は「重点保護地区」「保護地区」で、市街地や山間部は「管理地区」。その中間が「緩衝地区」であり、特別柵には、この緩衝地区で農業被害を起こして生け捕りされた約270頭(11月24日時点)が収容されている。

奈良の鹿の保護エリア区分

 今年8~9月、特別柵の鹿で虐待の疑いがあるとの通報が、奈良県や奈良市にあった。通報したのは獣医師の丸子理恵さん。
 丸子さんは「特別柵の中では餌の量や栄養が十分でなく、鹿がやせて肋骨や骨盤が浮き出し、毛も抜けている」と指摘。栄養不足で肺炎を患う鹿が多く、年間50頭以上が死んでいるとし、怒りを込めて語った。「これはネグレクト。立派な虐待にあたる」

保護施設の特別柵に収容されているシカ=9月、奈良市(獣医師の丸子理恵さん提供)

 問題を受け、奈良県と奈良市はそれぞれ調査に乗り出した。
 その結果、県は動物福祉に関する国際指標に照らし、柵内のシカの多くは栄養不足でやせ、水飲み場が汚れているなど不適切な環境で飼育されていると判断した。また過密に収容されている現状も指摘し、日陰や雨よけも限られるため密集してしまう状況だったと非難した。
 市は11日24日、記者会見を開き、県と同様に過密な飼育状況や不衛生な水飲み場の状態などを報告。助言役として調査に参加した日本獣医生命科学大の田中亜紀特任教授は「虐待には当たらない」と述べた一方で、柵内が過密であることに触れ、踏み込んだ発言をした。
 「動物福祉を守るため、獣医療の一環としての安楽死や駆除は検討されるべきだ」

奈良市役所で記者会見する日本獣医生命科学大の田中亜紀特任教授(右)と仲川げん市長=11月24日

 ▽「稲穂をかじられ、実がない状態に」
 ところで、なぜ保護を担う愛護会が、鹿を死ぬまで柵に閉じ込める「永久収容」を続けているのか。背景には、深刻な農業被害がある。
 奈良公園周辺で稲作を営む生駒堅治さん(73)が実態を明かす。
 「汁がおいしいのか、例年8月末には鹿が穂をかじってしまう。そうすると育っても実がない状態になる」
 生駒さんは、鹿の被害に遭った農家でつくる「鹿害阻止農家組合」で組合長を務めている。シカが自由に出入りするのを防ぐため「防鹿柵」は総延長55キロ以上に及ぶとされるが、それでも対策は十分ではない。昨年9月の奈良県のアンケートでは、奈良市東部の7割の農家がシカの被害があると回答した。

取材に応じる「鹿害阻止農家組合」の生駒堅治組合長=10月、奈良市

 裁判も起きている。1979年以降、春日大社や奈良市などを相手に、農家が賠償を求める訴訟を起こしている。(1985年に和解)
 さらなる被害を防ぐため、山間部では条件付きで殺処分は許可される、との基準が示されたが、天然記念物のため抵抗は根強く、実際は進まなかった。
 代わりに愛護会が進めたのが、生け捕りと特別柵への収容だ。ただ、収容頭数に上限がないため、鹿が増えれば柵内は当然、過密となり、劣悪な飼育環境につながった。2017年には管理地区での殺処分もついに始まったが、緩衝地区では生け捕りするほかないという状況は変わらない。

取材に応じる奈良教育大の渡辺伸一教授=10月、奈良市

 ▽江戸時代、山では鹿狩りがあった
 問題の根底には、「天然記念物の指定の仕方」があるようだ。
 奈良の鹿を長年、研究する奈良教育大(奈良市)の渡辺伸一教授(社会学)によると、そもそも山間部の鹿は、歴史的には「神鹿」とはされていなかった。江戸時代には、春日大社や現在の奈良公園にあたる場所およびその周辺などで保護される一方、山間部では鹿狩り(狩猟)が行われていたという。

武甕槌命が白鹿に乗って御蓋山の山頂に降り立った場面を描いた鹿島立神影図(かしまだちしんえいず)(春日大社所蔵)

 その歴史から、1957年に国が「奈良のシカ」を天然記念物に指定する際、地元はその対象を春日大社や奈良公園周辺の鹿に地域を限定するよう求めた。しかし、文化庁は地域を定めずに指定。事実上、当時の奈良市一円が生息地とされ、結果的に山間部の鹿の扱いがあいまいになった。
 渡辺教授は現状について、「本来は鹿が収容される機会を減らすべきだ」と主張する。保護地区と管理地区の間の緩衝地区では、防鹿柵の設置にお金をかけ一層充実させることで、生け捕り数を減らしていくことを提案。さらに、遺伝子型にも言及した。
 「山間部などで鹿狩りをし、代わりに春日大社の周りでは神鹿として保護してきたため、陸の孤島のように、外部のシカ集団と千年以上にわたり交流がなく、その遺伝子型は独特だ。『生きている文化財』とも表現されるが、こうした神鹿の独自性は、外部での継続的な鹿狩りが作り出した歴史的な産物であるという点を強調したい」

奈良公園のシカ=10月
取材に応じる「奈良の鹿愛護会」の山崎伸幸事務局長=11月24日、奈良市

 ▽動き出した自治体、新基準につながるか
 奈良市や奈良県も「特別柵」の在り方の検討を始めた。
 県の山下真知事は11月6日の記者会見で、生け捕りの対象である緩衝地区の範囲を変更するかどうかが、今後の論点だと示唆。「農家の被害防止、あるいは被害が起きたときの補償とセットにして生け捕りの在り方を検討していくことになるだろう」
 奈良の鹿愛護会の山崎伸幸事務局長は「混乱を引き起こしてしまい、深くお詫び申し上げたい」と謝罪した上で、収容される鹿を減らす仕組み作りを求め、こう意気込んだ。「奈良の鹿にとって一番いい方策を考えるため、新しい部分を取り入れていきたい」

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