江戸と令和の「道」の魅力とは? 長崎と佐賀の史跡巡りツアー 20代記者が体験

辻さん(中央奥)の案内で鈴田峠を歩く参加客=諫早市破籠井町

 旧長崎街道のうち長崎から佐賀県武雄温泉までに点在する史跡をバスと徒歩で巡り、帰りは楽々、西九州新幹線で-。こんなツアーを長崎文献社(長崎市)とJR九州が企画した。記者も同行し、江戸と令和の二つの「道」をたどってみると、新たな観光コンテンツとして可能性を感じた。
 江戸時代に交易品が運ばれ、長崎奉行やオランダ商館長一行らが約1週間かけて北九州の小倉まで通ったとされる長崎街道は全長約220キロ。そのうち長崎-武雄温泉は約83キロ。今回は長崎文献社発刊の歴史・文化ガイドブック「長崎游学15 歩く楽しむ長崎街道」を基に、歴史好きが集う市民団体「長崎楽会」の辻宏幸さん(68)が案内した。
 11月25日、長崎駅をバスで出発し、最初に訪れたのは、諫早、大村両市境の鈴田峠。往時の景観を残し、文化庁「歴史の道百選」でもある。落ち葉や枝が降り積もり、歩くとふんわり。高い木立の間から陽光が差し込み、歴史ロマンをかき立てる。
 「長崎から小倉まで、人は7日間。(輸入した)象を江戸に献上する時は12日間かかった」。辻さんの“街道うんちく”に感心していると、ぽっかり割れた巨石が現れた。高さ約2メートル、幅2メートル余り。妊婦のおなかのように突き出たことから「どんばら石」と呼ばれるそうだ。
 その先にあったのは「大渡野番所跡」。かつて見張りの兵士が立ち、出入国を取り締まっていた。辻さんが茂みに入り「この辺りに建物があった」と手を広げた。ここから折り返し。「今度は諫早、大村の藩境まで行きたい」と再訪問を誓う参加客もいた。
 お昼は、日本遺産「砂糖文化を広めた長崎街道~シュガーロード~」の構成資産「大村寿司(ずし)」を味わった。
 宿場町として栄えた大村市松原本町にある木造2階建ての「旧松屋旅館」にも立ち寄った。1970年ごろに営業は終えたが、地元有志によって情報発信の場として再活用され、休日は自由に見学できる。ここでお土産に「へこはずしおこし」を購入。あまりのおいしさで「へこ(ふんどし)」が外れていると気づかず食べ続けた、という逸話をかみしめた。
 キリシタンの取り締まりが厳しかった佐賀県嬉野町の「俵坂関所跡」を経て「武雄温泉本陣跡」に到着。同県唐津市出身の建築家、辰野金吾が東京駅に続き設計し、朱色の楼門が鮮やかだ。

朱色が鮮やかな武雄温泉の楼門。最寄り駅から長崎まで30分足らず=武雄市

 武雄温泉駅からは新幹線で30分足らず。速いからこそ、往路をじっくり楽しむ時間を取れた。長崎駅に戻った峰信吾さん(53)は「長崎街道は奥深く知らないことばかり。充実した1日だった」と振り返った。
 次回開催は未定とのこと。商品化されれば、いにしえの街道と最先端の鉄道をうまく融合し、長崎観光の魅力を味わってもらえる格好のコースになりそうだ。

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