義父母の名やっと刻めた「阪神・淡路」の銘板追加 他界の夫から遺言で託され「ここなら忘れられない」 神戸

銘板に追加された義父母の写真を手にする佐々木美和子さん=17日午後、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・笠原次郎)

 神戸・東遊園地の「慰霊と復興のモニュメント」で17日に開かれた阪神・淡路大震災犠牲者らの銘板追加式典。前日までの暖かさとは一転、いてつく風に身をすくませながら、遺族らは丁寧に銘板を取り付けた。「これからはここに来れば、会える」。大切な人のぬくもりをそばに感じて。

 西宮市の佐々木美和子さん(65)は、義理の両親、一孝(かずたか)さん=当時(70)=と明子さん=同(65)=の銘板を取り付けた。

 「やっと来られました。天国できっと喜んでくれていると思う」

 あの日、2人が暮らした同市高松町の木造2階建て住宅は全壊した。がれきの中から発見されたとき、一孝さんは明子さんをかばうように倒れていた。

 「あかんかったわ」。当日昼ごろ、市内のマンションから駆けつけた夫嗣郎(つぐろう)さんの電話で、美和子さんは2人の死を知った。

 大手繊維製品メーカーに勤め、単身赴任での海外生活が長かった一孝さん。おっとりとして優しかった明子さんとともに、当時6歳と3歳だった孫をかわいがった。幼稚園の音楽会など行事には欠かさず足を運び、成長を喜んだ。

 「一緒に力を合わせていこう」。実の父に続き、震災前年に母を亡くした美和子さんには、そう声をかけてくれたという。「本当に頼りにしていた。子どもたちが育つ姿をもっともっと見せたかった」と悔やむ。

 震災後、夫婦はその実家跡に自宅を建て、家族で移り住んだ。「地震に強く頑丈な家にしよう」。嗣郎さんの提案で基礎からこだわった。洋風の家だが、義父母が手入れしていたマツの木を残した。

 嗣郎さんは、3年前に病気のため68歳で他界。今回の銘板追加を遺言として託した。西宮市の震災記念碑公園にも2人の名前はあるが「東遊園地のモニュメントは震災を象徴する場所。ここに刻めば、ずっと忘れられない」。折に触れて話し、亡くなる直前にも思いを手書きにして美和子さんに頼んだ。

 プレートをはめ込むと、美和子さんの表情がふっと緩んだ。「みんなの心に残る場所に名前を刻めた。約束を果たせたかな」(上田勇紀)

■「希望の灯り」元理事長ら/震災復興に尽力の3人も追加

 震災復興に力を尽くし、今年亡くなった3人の名も刻まれた。

 松浦潔さん=4月に69歳で死去=は、震災で長男とホームステイ中の留学生を亡くし、NPO法人「阪神淡路大震災1.17希望の灯(あか)り」元理事長として語り部活動などに取り組んだ。妻の美佐子さん(71)=神戸市兵庫区=は長男らと同じ空間に刻まれた名に手を添え、「夫はいつも明るく振る舞い、周囲を笑顔にした。(銘板追加は)本人も喜んでいるはず」と話した。

 足立悦夫さん=6月に91歳で死去=も同法人の元理事。震災で亡くした長男夫妻の生きた証しとして桜の木を植え、「桜を囲んで語る会」を毎年開いた。

 六甲道駅南地区(同市灘区)で復興再開発の事務所長を務めた元市職員、倉橋正己さん=4月に74歳で死去=の名も追加された。次女の鈴木亜紀さん(45)=大阪府吹田市=は「自分より周りのことを考え、住民の皆さんにも寄り添っていたと思う。娘として誇り」と語った。(井川朋宏)

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