箱根山上り「苦い経験が今でも生きている」 横手健(作新高ー明大ー富士通) 2年時、5区で19位 栃木県ランナーが振り返る箱根駅伝100回①

1区で区間3位と好走した明大の横手(左)=2015年1月2日、横浜市

 忘れられないのは2年生だった2年目の5区(23.4キロ)山上りです。山に強い同僚がいなかったので、上りが苦手ではない自分が消去法で選ばれた形。区間19位の大ブレーキで4位から7位に順位を落としました。前半に攻めた結果でしたが準備不足。坂道に対応できる走りの土台が作れていませんでした。

 本格的な上りが始まる4キロ手前、函嶺洞門(かんれいどうもん)を過ぎると所々に雪が残ってました。生地が厚いユニホームとアームウォーマーで寒さ対策をしましたが、低体温症のようになり体はふらふら。最高地点を過ぎて下り始める16.3キロからの記憶は、あまり残っていません。

 ちょうど20歳の年。だから、その後の成人式に行きたくなくて。大失敗でしたから、地元の友人に何を言われるんだろうと。

 今思うと、てんぐになっていたんでしょうね。高校時代からトラックの実績がありましたし、大学1年目は関東学生対校選手権1万メートル4位、世界ジュニア選手権1万メートルで7位入賞。箱根駅伝も8区(21.5キロ)で使ってもらえましたから。

 そして5区の失敗以降、練習に取り組む姿勢が変わりました。西弘美(にしひろみ)監督(当時)にも怒られて。チームメートとだらだら走っていたジョギングを、速く厳しいペースに切り替えました。春にすぐ5000メートルと1万メートルで自己ベストが出て、今まで楽な方に逃げていたんだと痛感しましたね。

 3年目は1区(21.3キロ)区間3位。4年目も1区で当時歴代8位の1時間1分44秒を出して区間2位になりました。総合優勝はできませんでしたが、チームにも恵まれ上位争いの中で納得のいく走りができました。

 中学3年の時、テレビを見ながら絶対に出たいと思った箱根駅伝。あの5区の苦い経験が、実業団選手となった今でも生きていると思います。こう言ったら当時の仲間に申し訳ないけど、4年間で一番成長させてくれた出来事ですね。

 よこて・けん 1993年鹿沼市生まれ。作新高-明大-富士通。作新高3年時の山口国民体育大会少年男子A5000メートルで優勝。明大3年時の全日本大学駅伝5区で区間新記録を出して区間賞を獲得した。

 

横手健

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