青森市民のソウルフード「味噌カレー牛乳ラーメン」次代に 普及に尽力「味の札幌」大西文雄さん死去

生前の「味の札幌大西」店主・大西さん。味噌カレー牛乳ラーメンの普及に尽力した

 いまや全国区となった、青森市民のソウルフード「味噌(みそ)カレー牛乳ラーメン」。この味の知名度向上に尽力してきた一人で、同市の「味の札幌大西」元店主の大西文雄さんが11月20日、病気のため78歳で亡くなった。大西さんの屈託ない笑顔と人柄、その功績をしのぶ常連客。大西さんの仲間や家族は味を守り続けることを誓った。

 大西さんは北海道出身。1960年代後半、札幌市の人気ラーメン店の常連客だった大西さんは、同店で店長をしていた故・佐藤清さんに誘われ、共に青森市へ。佐藤さんが同市で開いた「味の札幌」のオープニングスタッフとなり、ラーメンの世界へ足を踏み入れた。店では味噌ラーメンなどが人気だったが「いろいろ混ぜてください」との学生の要望に応え、佐藤さんが考案したのが味噌カレー牛乳ラーメンだった。

 91年にのれん分けし、自分の店を持った大西さん。師である佐藤さんが亡くなった後は、佐藤さんの弟子らと共に「味噌カレー牛乳ラーメン普及会」の発足に携わった。さらに「県ラーメン協会」の会長も務め、積極的にメディアに露出、青森県のラーメン普及に大きく貢献してきた。

 大西さんの訃報に、子どもの頃から親交があったという佐藤さんの次女は「父の味をソウルフードと言われるくらいに広めてくれたことは本当にありがたいこと」と感謝する。

 かつて、大西さんらと共に佐藤さんの下で修業した、青森市の「かわら」店主の小笠原崇さん(49)は、大西さんについて「遅刻とかは怒らないけど、発注ミスとか、お客さんにラーメンを提供できなくなるようなミスにはすごく厳しかった」と回顧。「仕事終わりに飲みに行ったり、ボウリングに出かけたり。面倒見のいい人だった。本当に亡くなったんだな…」と視線を落とした。

 一方で、普及会の会長も務める小笠原さんは「大西さんがつないでくれた文化をこれからも全国に広めていく」と決意を語る。

 訃報の後も、大西さんの店は、多くの常連客や観光客らで変わらぬにぎわいを見せた。幼い頃から親に連れられて来ていたという同市の公務員男性(34)は「お店の雰囲気が好きだった。亡くなったと聞いてとてもショックだった」としのんだ。今年2月、病と闘っていた大西さんに代わって店を継いだ三女の須郷有香さん(43)は「ラーメンに情熱を注ぎ、味を広めてきた父を尊敬している。この味を残していきたい」と力を込めた。

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