幕末から90年間の稲刈り記録を解読 寒河江市生涯学習課の大宮さん

幕末から約90年間の稲刈りの状況が記録された稲刈帳と、解読した大宮富善さん=寒河江市

 寒河江市八鍬の農家に伝わる幕末から昭和前期まで約90年間にわたる稲刈りの状況を、ほぼ毎年記した記録集を同市生涯学習課歴史文化専門員の大宮富善さん(69)が解読した。全国的に凶作だった1934(昭和9)年時の作柄をはじめ各年の収量や当時栽培されていた品種などを細かく記していたという。大宮さんは「(生産者の目線で記録した)かつての寒河江の稲作を知る貴重な資料」としている。

 記録が残っていたのは農業木村悟さん(73)方で、木村さんの曽祖父から祖父まで3代にわたり、1856(安政3)年から戦時中の1942(昭和17)年までを「稲刈帳(いねかりちょう)」(縦18.5センチ、横14.3センチ)の名で記していた。2人とも西村山地域史研究会に所属しており、同会の会合で稲刈帳のことを聞いた大宮さんは借り受けて解読に当たった。

 全国的に大凶作だった1934(昭和9)年は「虫害や病気で白穂が多く結実不良。昨年よりも2~4割の減収」と記す一方で、ジャガイモなどは収穫量が多かったとしている。

 また、江戸期の状況については、1856年に「草 文六のけちか/一 千百十一束 河原田」「草 持かわり/一 七百五十六束 冨澤」などの記述があった。1束は稲6株を10組まとめた量。「河原田」「冨澤」は地名だが、「文六のけちか」「持かわり」は意味が分かっていない。

 この文言について、山形大農学部の片平光彦教授は「文六」を品種名と指摘し、「のけちか」を「稲の先の芒(のぎ)という部分が近い(短い)ことを意味するのではないか」と推測する。

 現代でもなじみ深い品種名も出てくる。現在の庄内町の育種家・阿部亀治が生み出した「亀ノ尾」は1912年から26年まで作付けされたとしている。大宮さんは「営農の参考にしようと記録したのだろう。収量が良い品種に変わっていくのが分かる」と語った。

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