【能登半島地震】「家が潰れる」と覚悟 要介護の母と高台へ

 身が危ない。必死に1階廊下の手すりにつかまり、要介護の母(82)を介抱して必死に耐えるしかなかった。最大震度6強を観測した七尾市の実家で1人暮らしの母の様子を見るため、1日に帰省していた時だった。最初の揺れに安否を気遣った叔母からの電話を受け取ると、2度目の大きな揺れが襲った。なかなか収まらず、ひどくなる一方。めしめしと不気味な音が響く。家がつぶれる、と覚悟した。(砺波総局長・山田真広)

 揺れが収まると、大津波情報で避難の呼び掛けが。扉が倒れ、窓ガラスが割れて散乱し、家の中はめちゃくちゃ。着の身着のまま、母とともに倒れた下駄箱を乗り越え、ようやく外に出ると、駆けつけた近所の人が「大丈夫やった?」。普段から1人暮らしの母を見守っていただいていることに、地域の絆を感じた。

 外壁が剥がれ落ち、窓枠が飛んだ家からなかなか離れようとしない母を連れて、液状化で泥水が流れ電柱が傾き、ガラスや瓦が散らばる通りを命からがら、近くの公園の高台へ向かった。

 多くの住民が身を寄せ合う。緊急避難情報が一斉にけたたましく鳴り響き、大きな揺れが襲う。なすすべがない。日没とともに、寒さが募り、じっとこらえるしかなかった。

 4年前に勤務地だった輪島で味わった震度5弱と比べようもないほどの怖さを感じた今回の地震。お世話になった輪島をはじめ、奥能登地域を中心に未曾有の惨状が伝わり、心が痛む。たまたま実家に居合わせ、母と共に難を逃れたが、今回の被災で1人暮らしの高齢者の避難は難しいと身をもって痛感した。

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