新人ボートレーサー森陽多選手 高み目指し腕を磨く「5年以内にA級昇格を」

普段は陽気な森選手も乗艇すると“勝負師”の顔になる=ボートレース大村

 まるで、部活動帰りの高校生のよう。ジャージー姿の小さな背中に大きなリュックを背負って取材場所に現れた。「お待たせしました。(取材)よろしくお願いします」。名前の「陽」のごとく、明朗快活。周囲がパッと明るくなった。
 ごう音とともに6艇が水しぶきを上げて駆ける。艇と艇が激しくぶつかり合う。転覆したり、プロペラで大けがをする選手も。ボートレースが「水上の格闘技」と呼ばれるゆえんだ。
 昨年12月18日に19歳の誕生日を迎えたばかりの新人ボートレーサー、森陽多選手=南島原市出身=は「最高速度は時速80キロくらいですが、水面が近いので体感は120キロくらい。怖さもあるけれど、楽しい。(前傾姿勢で立ち上がって旋回する)モンキーターンが決まったときは最高です」と目を輝かせる。
 父航(わたる)さん(46)の影響で幼いころからボートレース大村でレースを観戦。レースで火花を散らす選手の姿に「格好いい」と憧れた。市立深江中ではレーサーに必要な基礎体力を付けるために陸上部に入部。機械の知識も学ぶため、県立島原工業高に進学した。
 高校在学中にボートレーサー養成所(福岡)の試験を受け、一発合格を果たした。養成所は“超難関”として知られ、全国から1216人が受験し、合格者は52人。倍率23.4倍という狭き門だった。
 養成所では操縦や整備の技術、学科など多岐にわたる訓練に臨んだ。朝は6時起床ですぐにベッドを整え、体操をこなし、8時から授業開始という厳しい生活。1年間の訓練で合格者の半数近くがさらに脱落した。「なりたくて、なりたくて、たまらない職業だったので、どんな試練にも耐えられた。良い同期にも恵まれた」と厳しいサバイバルを振り返る。
 昨年11月下旬、「プロ」としての一歩を踏み出した。新人のため、ランクは4ランク中、最も低い「B2級」からのスタート。二つのレースに出場(17回出走)するも、節間順位は5位が最高とプロの洗礼を浴びた。その間、同期で仲の良い女子選手が水神祭(初勝利)を飾った。「うれしい半面、悔しい気持ちもあります。でも、レースは続くので、いつかは自分も…」と落ち込む暇はない。
 操船も整備も、まだまだこれからで、先輩選手にアドバイスを受けながら腕を磨く。「近い目標は5年以内にA級に昇格したい。そして、最上位の『SGレース』に出たいです」と高みを目指す。
 次回レースはボートレース常滑(愛知)の一般戦(1月19~23日)だ。

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