苦難経て人生見つめ直す “三足のわらじ”履く坂井さん リネン作家、音楽講師、麹料理講師

自作のリネンのエプロンを着て、麹料理を教える坂井さん(左)=大村市内

 リネン(麻)作家、吹奏楽トレーナー、麹(こうじ)料理教室講師-。大村市の坂井泉子(もとこ)さん(54)は、趣味や特技を生かして“三足のわらじ”を履く。2児と父親を亡くし、自らも病気を経験したことで人生を見つめ直し2022年、高校教諭を退職し起業した。健康で楽しみながら、子どもたちのために。
 音大卒業後、長崎の県立高に勤め、音楽や吹奏学部顧問を任されてきた。01年、特別支援学校にいた時、「身を裂かれる」ような出来事があった。3人目に授かった智泉(ちせん)君が早産で、生後間もなく先立たれた。
 翌年に生まれた萌子(もえこ)ちゃんも570グラムの超低出生体重児だった。「若い木々が萌え立つように」と成長を願い名付けた。酸素吸入器につながれたまま新生児集中治療室(NICU)で7カ月ほど過ごした。自宅でも、たん吸引などのケアが欠かせなかった。1歳の誕生日を前に危篤に陥り再び入院。2歳になって退院したが、大みそかに救急搬送され、05年の元日に息を引き取った。
 その後、職場復帰したものの貧血で体調がすぐれない日々が続いた。教諭だった父親も定年退職後5年ほどで死去。坂井さんは、そのうち子宮筋腫を患い、20年に摘出手術を受けた。折しも新型コロナウイルス禍で吹奏楽部活動は休止に。健康の大切さを痛感しながら、心の支えとなったのが、趣味の裁縫や料理だった。
 以前、他県で麹教室を開く妹から「上級麹士」になればと勧められていた。長女と長男の自立を機に21年、資格を取得した。麹づくりに必要な種麹は「もやし(萌)」と呼ばれる。菌の胞子が伸びる様子が芽吹くようだからと知った。「『お母さん、いいんじゃない』って萌子が語りかけてくる気がした」
 孫が生まれ、自身も父親が亡くなった年齢にだんだん近づき、「自分の楽しみってなんだろう」と人生のゴールを考えるようになった。「やらずに後悔するより、やってみてちょっと苦労する方をとろう」。22年、約30年務めた教職を辞め、起業した。
 リネン作家、麹を使った料理教室、楽器指導の「衣・食・奏」の3本柱。「生き生きと元気に、体も心も健康に暮らせるように」との思いを込め、社名は音楽用語で「動きをもって」を意味する「conmoto(コンモート)」から採った。
 リネンは環境に優しく、使えば使うほど肌になじむ。衣服を受注製作販売し、洋裁を教えることも。料理教室では、自家製の塩麹や黒麹などを使い、講演の依頼も引き受ける。
 音楽は自分にとって「流れる血液」のようなもの。大村市の小中学生ブラスバンド「OMURAキッズブラス」でホルンを教えている。さらに、命について考えてもらおうと、シンガー・ソングライター竹内まりやさんの「いのちの歌」の合唱を指導。昨年11月の定期演奏会で子どもたちが手話を交えて歌った。
 料理教室には教諭時代の教え子や同僚も来る。波佐見焼の会社に就職した教え子は、教室オリジナルの皿や器を提案してくれた。「人生の点と点がつながっている」と感じずにはいられない。
 いずれカフェを開き、学校に行きづらさを感じる子どもの居場所にもしたい。教職を離れても「未来を担う子どもたちのために」との思いは変わらない。「泉子先生」の挑戦は続く。

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