なんてことない日

 「うまそー」と夕食の献立に声を弾ませ、名店の味をまねてこしらえた「原価30円」の手製のおまんじゅうを絶賛しながら秋のお月見を楽しんで。ねえ、ねえ、何がそんなにおかしいの、と楽しげな会話に勢いよく合流を試みて「そんなに笑ってた?」ときょとんとされて▲昨年5月に刊行された「永遠と横道世之介」は吉田修一さんの人気シリーズ第3作。舞台は2007年の東京。長崎生まれの主人公・世之介は作中で39歳の誕生日を迎える▲物語の序盤で〈起承転結はもちろん、伏線があって最後に回収などという手の込んだ仕掛けもない〉と構想が明かされる。冒頭に引いたように、描かれるのは世之介と周囲の人々の「なんてことのない一年」だ▲〈人の人生になどそうそう派手な物語はないのではないか〉〈人生というものは、人の一生から、その派手な物語部分を引いたところに残るものではないか〉…その“引き算の残り”の部分を愛おしむように作家の筆が表情豊かに躍る▲新型ウイルスの流行、出口の見えない戦闘。日常の壊れやすさばかりを繰り返し突き付けられてきたこの数年間を改めて思う▲真っさらの2024年が始まる。小さなでこぼこや笑い声に彩られた「なんてことない日」がきょうもあすも確かに積み重なることを願いながら。

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