心に花眼を

 長崎市で育った俳人、森澄雄(すみお)に「花眼(かがん)」という句集がある。辞書にその言葉はなく、中国語らしい。花のように美しい瞳かと思ったら案外で、老眼のことだという。中国語では花に「ぼやけた」の意味があり、句集は澄雄が花眼の年齢、50歳になる1969年に出された▲目に衰えを覚える年齢になって、季節の花々に心引かれる人も少なくない。言葉の妙というのか、花眼とは「美しく、かけがえのないものを見る目」にも思えてくる▲この正月は、縁起がいいとされる赤い実のマンリョウ(万両)の鉢と、手作りの門松を玄関先に飾っている。ともに身内からもらったのだが、実の美しさ、松竹梅の清新さが若い時分よりもずいぶん目に染みる。花眼の兆しかもしれない▲要領のいい人は速足の旅人に似ている、と物理学者であり随筆家でもあった寺田寅彦は書いた。〈人より先に行き着く代わりに、道ばたにある肝心なものを見落とす〉と▲足取りは鈍くても、花眼の旅人となって初めて見えるものもあるのだろう。例えば、人の恩のありがたみ。ささやかな夢や楽しみを持つことの尊さ。日本語の美しさ…▲大方の人が、また、日本社会そのものが、道ばたに忘れてきた花があるに違いない。今年の道行きが険しくても、心はせめて花眼の旅人でありたい。(徹)

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