〈1.1大震災~連載ルポ〉料理修業中の息子犠牲に涙 穴水、生き埋め9人捜索続く

亡くなった息子への思いを涙ながらに語る寺本直之さん=6日午後1時50分、穴水町由比ケ丘地区

  ●寺本さん父「悔しくてつらい」

 穴水町由比ケ丘地区では地震による土砂崩れに巻き込まれた民家2棟に残された住民の捜索活動が6日も続けられ、新たに2人の遺体が見つかった。この現場での安否不明者は同日午後7時時点で少なくとも9人とみられる。死亡が確認された料理人の寺本駿希さん(21)=金沢市出身=は家族を喜ばせようと、自ら作ったおせちを持参した母の実家で被災。捜索を見守った父直之さん(52)=金沢市泉2丁目=は「悔しくてつらい」と悲痛な声を漏らした。

 駿希さんは発災時、祖父母と母弘美さん(53)、兄琉聖さん(24)、弟京弥さん(19)、妹美緒寧さん(15)のほか、弘美さんの弟夫婦ら3人の計10人で過ごしていたとみられる。祖父母宅では、6日までに祖父母と駿希さんの死亡が確認されたが、残る7人とは連絡が取れていない。

 向かいの住宅=川島=では4人が土砂に巻き込まれ、住んでいた60代、30代の女性2人が死亡。60代男性、11歳男児は安否が確認できていない。

  ●自作のおせち持参

 駿希さんは白山市の専門学校を卒業後、昨年4月から東京・恵比寿にある日本料理店で働き始めた。料理人の笠原将弘氏の指示を受け、和食修業の真っ只中だった。毎年元日は穴水の祖父母宅で過ごすのが恒例行事。そこで食べてもらおうと年末におせちをつくっていた。

 直之さんは「駿希はみんなにおせちを食べさせると張り切っていた」と気丈に振り返る。元日に金沢で仕事を終えた後、穴水に入る予定だった。「なんでうちだけこんな目に」。やり場のない怒りに自然と涙があふれた。

 駿希さんは地元金沢に自分の店を出すのが夢だった。「家族みんなでやりたいね」。母弘美さんは息子の店をサポートするために「私も飲食店で働く友人からいろいろと教えてもらわんとだめやわ」と腕まくりしていたという。

 直之さんは「みんな生きていてほしい。家族5人全員の命を取られ、自分1人になるなんて考えもできない」と声を絞り出した。(元珠洲支局長、東京報道部長・宮本章史)

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