〈1.1大震災~連載ルポ〉帰省女性「夫に無事伝えて」 輪島の孤立集落、携帯つながらず

自衛隊員から紙オムツを受け取る冨水さん(左から2人目)=5日午前11時40分、輪島市滝又町

  ●滝又、空熊町 正月のもち食いつなぐ

 能登半島地震による土砂崩れで道路が寸断され、「孤立集落」となっている輪島市山間部の滝又(たきまた)、空熊(そらくま)町。5日、自衛隊とともに現地へ向かうと、そこには雨水や正月のもちで食いつなぐ住民の姿があった。「私は無事だと、どうかそれだけ伝えてほしい」。帰省中に被災した女性は千葉に残してきた夫へのメッセージをこちらに託し、過酷な生活へと戻っていった。(前輪島総局長、政治部・中出一嗣)

 滝又、空熊町は輪島市中心部から南西に約10キロ。地震の影響で携帯電話がつながらなくなった場所だ。山間部の三井町までは車で行けたが、そこからは徒歩となった。集落までのアスファルトはひび割れ、至る所で陥没。高さ5メートルほどの土砂が積み上がっている場所もあった。約5キロの道のりを2時間かけ、ようやく現地へたどり着いた。

 先に訪れた滝又では、炊き出しを行う住民の中に知り合いの姿を見つけた。連絡が取れない安否不明者に含まれていた坂本昌子さん(71)だ。無事と聞き、涙がこぼれそうになった。

  ●オムツ手に安堵

 市関係者によると、地震発生時、滝又には約70人、空熊町には60人程度がいた。地震後、もちや米を持ち寄るなどして飢えをしのいできた滝又の住民は、自衛隊員から水や食料、ガスボンベなどを受け取ると安堵(あんど)した様子で、冨水真樹さん(43)は2歳の娘の紙オムツをもらい「本当に困っていた。助かる」とほっとした顔を見せていた。

 しかし、ほとんどの家屋は辛うじて建っているような状況で、高齢者を含め大半の住民は車中泊を余儀なくされている。「水や食べ物はまだ何とかなるけど、ガソリンがなくなったら終わりや」と坂本さん。7日は冷え込みが厳しくなると予想される。車の暖房が使えなくなれば命が危うい。

  ●「山を越えられるか」

 隣の空熊町に入り、集落を歩いていると1人の女性が近づいてきた。「どうやって来られたんですか。子どもがいるんですが、私たちも山を越えられますか」。

 女性は45歳。小中高の子ども3人を連れ、千葉県松戸市から空熊町の実家に帰省していたところで地震に遭ったという。子どもを安全な場所に移したい気持ちは同じ親として痛いほど分かるが、小学生に山越えは無理だと伝えた。

 こちらが集落を出ようとすると、再び女性が駆け寄ってきた。「どうか、千葉の夫に無事とだけ伝えてください」。携帯電話の番号を書いた紙を渡され、今度はしっかりうなずいた。下山し、メモの番号に電話をかけた。妻と子を案じていた夫は喜び「ありがとうございます」と涙声で繰り返した。この家族が再会できる日がいつ来るのか、早く支援の手が届いてほしいと思った。

集落につながる道路は地震で崩落し、倒木も相次いでいた=5日午前9時40分、輪島市三井町

© 株式会社北國新聞社