〈1.1大震災〉富山藩主の墓倒壊 長岡御廟の8代前田利謙

能登半島地震で倒壊した富山藩8代藩主の墓=富山市八ケ山

  ●灯籠153基も壊れ

 能登半島地震により、歴代富山藩主を祭る富山市八ケ山の「長岡御廟(ごびょう)」にある8代藩主前田利謙(としのり)の墓が倒壊したことが8日までに分かった。御廟内では藩主の家臣が奉納した灯籠153基も壊れていた。維持管理に当たる長岡御廟保存会は、前田家の遺徳をしのぶ貴重な歴史遺産として継承するため、修復を図る。

 長岡御廟には、初代藩主前田利次から12代利聲(としかた)までの墓が並び、土台の上に巨大な墓がそびえている。墓は2区画に分かれて配置されており、西群に利次ら8人、北群に2代正甫(まさとし)ら4人が祭られている。

 被害の確認された利謙の墓は西群に位置し、土を持った土台の上に石を積み上げ、高さは3メートル程度だった。御廟にある曹洞宗真国寺の永田円了住職(74)が地震翌日の2日、被害状況を確認した際、墓が崩れて土台の下まで落ちているのを確認した。

 永田住職は「こんなことは初めてで、倒壊しているのを見たときはびっくりした」と話す。ほかの藩主の墓に被害はなかったという。

 保存会の理事を務める永田住職は「ただ石を戻しただけでは、再び地震で崩れるかもしれない。何らかの対応が必要だ」と語った。

 御廟では、家臣が奉納した灯籠にも被害がみられた。灯籠は250~300年ほど前に作られた約500基があり、このうち153基が倒れていた。

 ★長岡御廟 富山藩歴代藩主の廟所(びょうしょ)。1674(延宝2)年に初代藩主前田利次が死去すると、2代正甫は藩主を弔うため、利次が築城を目指した百塚山の周辺を墓地とすることにした。翌年、現在まで続く長岡御廟が完成。利次から12代利聲(としかた)までの墓が並び、富山藩の歴史を映し出している。藩主の墓は西群と北群に分かれて配置されており、西群の裏には子女や側室の墓が立ち並んでいる。

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