〈1.1大震災~連載ルポ〉「はよ見つけてくだ」 朝市の仲間、焼け野原で探す

商売仲間の安否を確かめるため、朝市に足を運んだ寺下さん=15日午前10時半、輪島市河井町

  ●輪島、81歳寺下さん 孤立集落から6キロ歩き

 「はよ見つけてやってくだ」。地震発生から2週間たった15日、大規模な火災に見舞われた輪島市河井町の朝市通りに立ち尽くす一人の女性がいた。長年、この場所で露店を営んできた寺下美代子さん(81)。安否が分かっていない商売仲間を心配し、6キロ離れた孤立集落から歩いてきたという。「優しい人らやった。家族のような付き合いやったのに」。焼け野原と化した一帯をぼうぜんと見つめた。(前輪島総局長・中出一嗣)

 寺下さんは30代の頃から朝市に露店を構えてきた。「ずっと商売してきた大好きな場所。それが、戦場みたいになってしもた」。変わり果てた姿を前に、それ以上の言葉は出てこなかった。

 安否が分かっていない商売仲間は、寺下さんの露店のそばで金物店を営んでいた60代男性と80代の母親。「毎日のように顔を合わせとった。あそこに店があったんや」。寺下さんが指さした先には、焼け焦げたがれきが積み上がっていた。

 寺下さんが住む鵜入町は、朝市から西に約6キロ離れた海沿いの集落。地震による土砂崩れで市街地へつながる県道がふさがれ、朝市で火災が起きたと聞いても、すぐに駆け付けることができなかったという。

 復旧が進み、ようやく人が通れる状況となったため、15日朝、つえと傘を手に集落を出発。次女由美子さん(55)とともに、痛む足をかばいながら海岸線を伝って歩いた。

 しかし、ようやくたどり着いた朝市に親子の姿はなかった。「どこに行けば会えるんや。遺体安置所か」。親子の名前が石川県の安否不明者リストに含まれていると伝えると、寺下さんは「避難所に行ってみるか」と力なくつぶやいた。そこには、通りに元気な声を響かせた「朝市のおばちゃん」の面影はなかった。

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