能登半島被災地の避難所で炊き出し 過酷な状況でも気丈に 上三川出身、珠洲の小町さん「長い目で心寄せて」

避難所で炊き出しを手伝う小町さん(中央)=15日午後3時45分、石川県珠洲市

 能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県珠洲市正院町の避難所に15日、同所、小学校教員小町成美(こまちしげみ)さん(41)の姿があった。栃木県上三川町の出身。発災から約10日間、自身も避難生活を送った小学校に今も通い、炊き出しなどを手伝う。停電、断水の復旧は見通せず、厳しい状況が続く。「苦しいが、もっとつらい思いをしている人もいる。前を向かないと」と気丈に振る舞う。地震発生から2週間。小町さんは「長い目で被災地に心を寄せて欲しい」と呼びかける。

 崩れ落ちた家屋につぶされた車、ひび割れ隆起した道路…。15日の日中、同市正院町には雪が舞った。小町さんは勤務先の小学校から、避難所となっている同市正院小に向かった。青い手袋を着け、大根のサラダを容器に盛り付けた。「地元の人たちが被災者。助け合わないと」。過酷な環境下で笑顔を見せた。

 元日夕は自宅のキッチンにいた。突然の地震。縦横上下、大きく複雑な揺れでピアノやテレビなど全ての家具が倒れた。自宅から海は約100メートル。津波警報が出され、すぐに家族と近くの高台に上った。「町が飲み込まれてしまうのでは」。津波が見え恐怖を感じた。

 家族はそのまま、正院小に避難。500人弱が身を寄せた。教室のカーテンを裂いて毛布代わりにし、体育で使うマットをベッドにした。水洗トイレは使えず、敷地内に穴を掘りトイレとして使った。

 小町さんは自宅に戻れたが、周囲には倒壊した家も多い。夫の佳史(よしふみ)さん(42)は「正院町では8割近くの家が住めないほど壊れたと思う」と話す。

 小町さんの勤務先の同市直(ただ)小は11日から授業を再開。しかし、4割近い児童は地元を離れて避難するなどし、出席していない。学校は避難所でもあり、機能の両立が課題だ。

 「亡くなった人が多い中、弱音は吐けないが、気持ちが落ち込む時もある」。そう胸中を明かす。県内外からの温かい言葉や支援に助けられていると感じる。復興までの長い道のり。息の長い支援を願う。

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