被爆者つなぐ新聞製作 福岡の吉崎さん、300号で勇退 “思い”後進に引き継がれる

これまでに製作した新聞のつづりを見返す吉崎さん=福岡市博多区

 長崎原爆の被爆者で福岡市博多区在住の吉崎幸恵さん(83)は30年以上前から毎月、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)新聞の博多区版を製作してきた。所属する「福岡市原爆被害者の会博多区支部」の会員らに配布。「被爆者同士がつながる一助になれたら」と届けてきたが、昨年11月発行の300号を最後に勇退。その思いは後進に引き継がれた。
 同会幹事の吉崎さんが、支部に提案し1991年9月に創刊。当初は3、4人で製作していたが、そのうち1人で企画、取材、編集などを担うようになった。近年は約300枚発行し、会員のほか、自らが被爆講話した学校にも郵送していた。

300号の紙面(一部加工)

 主にB4判2枚。原爆・平和に関連する街頭活動や会合への参加報告、行事の告知などを掲載するほか、読者からの便りや会員の横顔も紹介。講話先の児童生徒から寄せられた感想文も数多く載せてきた。読みやすいよう見出しや全体のレイアウトは時間をかけて考えた。当初は手書きから始まり、時代とともにタイプライター、ワープロ、パソコンと移行し、機器の扱いを覚えるのには苦労したという。
 入院時を除き製作を続けてきたが、体力的にも難しくなり300号をもって退いた。301号からは、同支部所属の被爆2世や一般の賛助会員が中心となって引き継いだ。「これまで、お便りや投稿など皆さんに支えてもらって続けてこられた。次の世代の皆さんに託すことができ、感謝している」と吉崎さん。今は一読者として新聞が届くのを楽しみにしている。

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