〈1.1大震災~連載ルポ〉輪島塗「また始めるよ」 磨き上げ「呂色」58年の丸井さん

被災した仕事場で無事だった輪島塗の作品を見せる丸井さん=23日午前9時40分、輪島市水守町

  ●仕事場散乱、避難生活も再開決意

 散乱した仕事道具の中に、凜(りん)とした光沢を放つ漆器が残っていた。23日、能登半島地震で被災した輪島塗を支える職人、丸井菊二さん(74)=輪島市水守町=の作業場を訪ねた。とても仕事ができる状況にはないように思えたが、こちらの不安を察したかのように「自分らは道具さえあればできるから。また始めるよ」と丸井さんは言う。年末まで作業を進めていた皿を見ながら、再興を決意していた。(政治部・作内祥平)

 丸井さんと出会ったのは避難所となっている輪島市大屋小だった。1日は家族7人が集まって食事の準備をしていたところを揺れが襲った。作業場でもある家は倒壊を免れたが、それから3週間、妻や近所の人とともに同校に身を寄せている。

  ●器の「風呂」壊れ

 「これでも少し片付けたんだけど。本当に大変なことになった」。足の踏み場もないほどに荒れた作業場を見回して丸井さんがつぶやく。「風呂」と呼ぶ漆の乾燥スペースは戸が壊れ、室温と湿気を一定に保つことができなくなった。

 分業制の輪島塗のうち、磨き上げの工程となる「呂色(ろいろ)」が丸井さんの本職。器や皿に装飾を行う「加飾(かしょく)」も手掛ける。「研ぎの技術が必要やもんで、つやを出すだけで10年掛かる。とても繊細な仕事や」と無事だったおわんや杯を手に取って眺めた。

 十二支が1枚ずつに描かれた九谷焼の皿は、昨年末に依頼があり、輪島塗との合作として皿の縁に加飾している途中だったという。ひどい揺れだったにも関わらず、12枚全てが無傷だったのは「奇跡」と笑顔を浮かべた。

 丸井さんは中学を卒業後、父に仕事を習い、3代目として家業を継いだ。58年間にわたって技を磨き、跡継ぎの息子もいる。

 ただ、かねて後継者不足だった業界に、今回の震災はこれ以上ない追い打ちを掛けた。10人ほどの呂色師のほとんどは家が損壊し、先が見通せない状況だそうだ。丸井さんも「息子は少し働きに出ないといかんやろうね」とため息をつく。

  ●ナンバーワン

 それでも石川を代表する工芸の再開に向け、関係者は前を向いている。被災後、丸井さんには販売を担う塗師屋から「輪島塗を続けたいから、またお願いね」と電話があったという。

 「呂色だけで飯を食う職人は日本全国でも輪島だけ。技術はナンバーワン。磨くための炭と砥石、漆があればやっていける」。危機に直面してなお、再起を図ろうとするベテラン職人のプライドが頼もしかった。

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