「生き字引」と称される亀田さん 県下一周駅伝の終わりに「感慨無量」

県障害者スポーツ協会事務局次長として84歳の現在もスポーツに携わる亀田=長崎市、県総合福祉センター

 県下一周駅伝に長年携わり続け、現在は「生き字引」とも称されている亀田信樹(84)=県障害者スポーツ協会=には、生涯忘れられないレースがある。
 1965年の第14回大会。地元の江迎を走る第1日の9区を任され、見事に区間賞を勝ち取った。当時26歳。自身4度目の出場で初めて手にした栄冠だった。
 吉井町役場前から江迎親銀前までの8.4キロ。炭鉱が閉山した直後の街はまだまだ活気にあふれていた。職場から、商店街からあふれ出てきた人たちの注目を浴び、幼いころの記憶を思い起こしながら走る時間は至福の時だった。
 旧猪調中(現在は江迎中と合併)のころ、初めて沿道で見た県下一周に衝撃を受けた。第2、3回大会だったと記憶している。「それはもう大変な盛り上がりようで。郡市対抗で真剣勝負をする。すごい駅伝大会ができたもんだ」。そう憧れた舞台で今、自分が走っている。中学卒業を機に長崎に移り住み、三菱重工長崎造船所に勤務していたため、長崎チームからの出場だったが、地元は温かく迎えてくれた。
 ふと、学生服姿の集団が目に飛び込んできた。母校の後輩たちだった。「卒業生が出場するから」と先生が呼びかけ、みんなで応援に来てくれていた。大声援を全身で受けると力がみなぎった。区間賞に輝き、その足で母校に向かって感謝を伝えた。道路に残った炭の中を走ったため、真っ白のランニングパンツがすっかり黒く染まっていた。
 以降、第24回大会までに区間賞8個を獲得。翌年から4年間は長崎チームの監督を務めた。ただ「生き字引」と呼ばれるゆえんにはまだ続きがある。
 監督勇退後、記録担当の大会役員を任された。審判車に揺られながら、中継点で通過タイムを受け取り、車内で区間記録、累計記録順位変動などを素早く集計する業務に奔走した。第50回大会へ向けた記念誌の発行が決まると、図書館に半年間通いつめて新聞記事をあさった。第1回大会からの全記録を確認した。
 2009年、70歳で長崎陸協の定年を迎えたが、記録集計はライフワークとして継続。お手製の最新データには「第1回大会から第69回大会まで898名に2396個の区間賞が授与された」と書かれてある。
 草創期に憧れを抱き、選手として夢をかなえ、裏方として見守り、そして今、大会の終わりを見届ける84歳。「時代の流れで覚悟はしていたけれど、いざ終わるとなると感慨無量だね」。そう静かにつぶやいた

1963年の第12回大会。第1日、長崎の9区亀田(左)が10区鈴木へトップでたすきリレー=旧北松江迎町

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