漁師は津波に向かった 「船は命。迷いはなかった」 珠洲の濱野さん「沖出し」

津波に向かって船を走らせた当時の様子を振り返る濱野さん=珠洲市の蛸島漁港

  ●東日本で犠牲者、国は原則禁止

 1日の地震で大津波警報が発令された後、珠洲市の蛸島漁港から沖合へ走る船があった。同市野々江町の漁師濱野慶弘さん(66)。多くの住民が高台を目指す中、自らの漁船に被害が出るのを防ごうと、あえて海を目指した。波にのまれ、転覆する恐れもある危険な方法だが、濱野さんは「船は漁師の命。迷いはなかった」と振り返った。

 地震発生直後、停泊中や操業中の漁船を沖合へ動かすのは「沖出し」と呼ばれる。水深が深く、海面上昇の影響が小さい沖合へ移動させることで津波をかわす手法だが、波に巻き込まれたり、移動中に転覆、沈没したりするリスクもある。

 東日本大震災では実際に命を落とした人もおり、水産庁は沖出しを原則として禁じている。濱野さんも危険性は認識していたが、「船がなくなったら生活できんようになる」との思いが勝ったという。

 1日の地震発生時、妻の制子さん(54)とともに自宅で正月を過ごしていた濱野さん。揺れが収まるのを待ち、制子さんに高台へ逃げるよう伝えた。「あんたはどうするの」。制子さんの問いかけに濱野さんは「港に行く。船と心中や」と答え、家を飛び出した。

  ●水位2メートル低下

 車を15分ほど走らせて蛸島港へ到着すると、水位が2メートルほど下がり、漁船が海底に接して傾いていた。かつて乗船したイカ釣り漁船で3度の津波を経験した濱野さんは、すぐに水位の上昇が始まると予想して船に乗り込み、船底が浮いた瞬間を見計らってエンジンをかけ、沖合へ船を走らせた。

 隣に停泊していた漁船も同じタイミングで出航し、並ぶように船を走らせた。400メートルほど沖に出ると、水位が下がる前に港を脱出した数隻の船を見つけた。濱野さんは船内の仮眠スペースで午後11時ごろまで過ごした後、蛸島漁港に戻り、妻が避難していた飯田高へ向かった。

 船は無事だったものの、出漁のめどは立っていない。乗組員2人は市外へ避難し、1人は漁業から離れることも考えている。港の製氷施設は断水で使用できず、給油施設も破損したままだ。

 「漁師以外に何もできん。はよ海に出たい」。濱野さんは待ち遠しそうに、穏やかな姿を取り戻した海を見つめた。

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