どう楽しむのが正解?「SNS疲れ」を避けるために意識すべきポイント

匿名で投稿ができ、知らない人との交流を楽しんだりいろいろな情報を掴んだりすることができるのがSNS。

気軽さはメリットですが、SNSでは見ず知らずの他人の自意識があふれており、気が滅入るような内容も目に入ります。最新の情報を知りたいとき、その内容が真実かどうかも今は読む側で賢く判断する力が必要です。

楽しむつもりが逆に疲れてしまうような使い方を避けるには、何を意識してSNSに触れるのが正解なのでしょうか。

「SNS=クローズドな世界」だから起こること

Xやインスタグラムなど、実名を伏せて投稿ができるSNSは多いですが、思ったことを自由に書けるのが良いところで、愚痴でも何でも気軽に投稿できます。

SNSのほとんどは、自分が気に入った人たちをフォローしてその投稿でタイムラインが作られるため、自分の好みだけの閉じられた世界を楽しむことができます。

自分に必要な情報だけが集まるクローズドな世界は、リアルでは知り合うことはないような他人との触れ合いも生まれ、物理的な距離を保ったまま交流できるのもメリットです。

一方で、それぞれの「こう思う」があふれ返るのがSNSで、極端にネガティブな内容や過度に他人を攻撃するものなど、気が滅入るような投稿があるのもたしか。

匿名で自分の考えを投稿できる世界だからこそ、読む人に配慮せずきつい表現で自意識を表明できるのも、SNSならではといえます。

意図せず目にしてしまった投稿で動揺したり、身勝手な気持ちを記した文章を読んで怒りを抱えたり、負の感情が湧きやすいのもSNSの特徴です。

他人の自意識に触れて過度に感情が揺さぶられると、「一言言ってやりたい」と攻撃する気持ちが生まれ、自分もまたネガティブなことを書き込んでしまう、という人も多いでしょう。

顔の見えない赤の他人の気持ちに振り回されるのは、匿名で投稿できるSNSはそれだけ「生の感情」が出やすいから。

リアルでなら言えないようなことを書けるのは誰もが同じで、「私が思っていたことを代弁してくれている」と身近に感じる人がいる一方で、「何でこんなひどいことが言えるのだろう」と人格を疑うような人の文章も一緒くたに取り込んでしまうのが、いわゆる「SNS疲れ」の原因といえます。

「誰が言っているのか」を考える

他人の気持ちだけではなく世間の最新の情報が流れるのもSNSで、メディアやメーカーなどが公式アカウントを作り積極的に発信しています。

いろいろなニュースサイトも最新の記事をSNSで投稿するので、それを目当てにタイムラインをチェックするという人もいます。

新鮮な情報に触れる点でSNSはメリットが多いですが、気をつけたいのはデマゴギーやフェイクニュースなど悪意を持って事実をねじ曲げた投稿もあることです。

事の真偽がはっきりしないのに、「実はこれが事実」「こいつが犯人」など、さも「自分は知っている」風で自信満々な文章を載せた投稿がありますが、頭から信じてその投稿を自分のタイムラインに流してしまうと、後で実は嘘だったとわかったときに自分もそれを信じた人間として責められる可能性があります。

極端な内容ほど、「誰が言っているのか」を真っ先に調べるのが賢明。

その発信をした人はどんな人物なのか、信用に足る背景があるのか、何が目的でそう書いているのか、プロフィールや過去の投稿をチェックして判断する力が、今のSNSでだまされないためには必須です。

ニュース系ではなく日常や生活に関することでも、センセーショナルな内容で偏った思想を吐露している投稿は、単に共感がほしくて大げさに書いている可能性もあり、安易に同調するのは危険です。

こんなときも、その人の普段の投稿やほかの人の投稿にどんな返信を書き込んでいるかをチェックしてみると、一貫しない主張に気がつくこともあります。

その発信をしているのはどんな人なのか、信じるに値するのか、一つの投稿だけで判断することは難しく、気になったらまずその人のタイムラインをチェックする癖をつけましょう。

声の大きい人、言いづらいとされることをずばりと書く人には自分ができないからこそ「すごい」と憧れのような気持ちを持ちますが、SNSは身分を隠して自由に投稿できる場所であり、「盛っている」可能性があることを、忘れてはいけません。

自分の目でその人の信頼性をきちんと判断したうえで、「好きだ」と思える人の投稿を楽しむのが、不要に感情を揺さぶられることを防ぎます。

「いいね」の数に惑わされない

多くのSNSでは、その投稿に共感する人の数が「いいね」の欄に示されます。

その数が大きいほど影響力を感じますが、「いいねの数=自分にとっても正解」ではありません。

「私にはいいとは思えない内容でも、いいねの数が多かったら私の感覚がおかしいのかと不安になる」という声を聞いたことがありますが、同意できないのであればそれでいいのであって、いいねの数が多いからといって「自分もそう思わなければいけない」とはなりません。

投稿はその人の自意識が出たものに過ぎず、「世間の常識」ではないのですね。

多数の人間が正解とするものを自分にも当てはめることで安心を得ようとする人は多いですが、SNSの「いいね」は「タイムラインに流れてきたから何となく押した」程度でつける人も一定数いて、その数すべてが称賛であるとは限らないことを、知っておく必要があります。

「いいね」の数が多いからこれが正解なのだ、ではなく、自分自身の感じ方を無視せず共感できない部分は何なのかを考えてみると、自分の価値観や本音を知るきっかけにできます。

比較に意味はない

写真の投稿がメインのインスタグラムなどでは、高級ブランドや有名レストランを楽しんでいたり、恋人や家族と幸せに過ごす様子が切り取られていたり、華やかな他人の状況を目にすれば羨望が湧いてきます。

リアルの知り合いの場合は、生活が身近なために心の距離を置いて投稿に接することができず、羨望を超えて嫉妬が強くなるとリアクションを返すことすらつらくなりますよね。

他人の日常を垣間見る機会で自分と比較すると、自分の投稿に価値を感じられず「つまらないもの」と置いてしまいます。

SNSは他人と比べて劣らない自分を見せる場所ではなく、自由に自分を表現することができる世界です。

その人の個性や人間性が伝わるから読む側は価値を覚えるのであって、誰かと比較することに意味はありません。

そもそも、きらびやかな日常であれ穏やかな生活であれ、その人と自分の背景は違います。

これまでの生き方も経験も違う人間と何を比べる必要があるのか、自分のこれまでを大切にして今を慈しむことに集中するのが健全です。

SNSを通して自分は何を伝えたいのか、表現したいのはどんな気持ちなのか、思いのこもった投稿が人の心を動かすと筆者は思います。

誰かと比較して優劣を意識するのではなく、自分の今の在り方を大事にする投稿で、ほかの人とのコミュニケーションも楽しみたいですね。

「自分の心を守る」意識で

Xでもインスタグラムでも、他人の自意識があふれる内容を目にしすぎることで疲れてしまう人がいます。

好きだと思ってフォローしている人でも、常に共感できる投稿ばかりではなく、たまには眉をひそめるような内容が流れてくることもありますよね。

つらいニュースの見出しに触れただけでうんざりしたり、誰かを攻撃する文章に心が冷たくなったり、マイナスな方向に感情が揺れ続ければいずれアプリを開くのも嫌になって当然です。

自分の投稿に赤の他人からネガティブな反応を返されたら、それひとつでやめてしまいたくなる人もいるでしょう。

ほとんどのSNSにはブロックやミュートの機能があり、嫌な人、合わないと思った人は素直に遠ざけるのが正解です。

ブロックのような強い拒絶はためらうという人がいますが、タイムラインを健全に管理して維持するのは自分の役目であり、制限しない限りは不意に目に入る機会も防げずに疲れます。

心の治安を脅かすような人は、排除しても誰かに責められることはありません。

クローズドな世界だからこそ、目にする情報は自分の意思で選んでいく姿勢が心を病まない秘訣です。

自分の心を守るのは当たり前であって、みずから「見ない選択」をしていくことで、他人を攻撃したくなる衝動も持たずに済みます。

自分が成長すれば、求める世界もまた変わってきます。

そのときの自分に合わせて有意義なタイムラインを作っていく、SNSを前向きに楽しむためには、人の投稿に振り回されないこと、今の自分を大切にする意識を心がけたいですね。

匿名で投稿できることは、本音や本心を出しやすくなる反面、同じように他人の生の心に触れる機会を避けられません。

言葉には力があり、強い言葉や表現を目にすることで情緒が不安定になる人は多いものです。

自分の心を守ることにためらわないのが肝心で、触れる情報をみずから制限していくことも、健全な精神でSNSを楽しむコツだと覚えていたいですね。

(mimot.(ミモット)/ 弘田 香)

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