能登のビーチに恩返し 氷見に移住の斎藤さん 自ら被災も支援に奔走

能登に運ぶ支援物資を車に積み込む斎藤さん=氷見市余川

  ●サーフィンで毎週訪問

 関東から氷見市に移住し、昨秋カフェを開業した斎藤航太郎さん(38)=同市余川=が能登半島地震の被災地支援に奔走している。趣味のサーフィンで毎週のように訪れていた奥能登の惨状に心を痛め、今月中旬から輪島市門前地区や七尾市に支援物資を運ぶ。地震で損壊し、休業が続く自らの店は二の次で動き「大好きな能登のために何かしたかった。この先もずっと遊ばせてもらいたい」と復興の力になりたい思いだ。

 斎藤さんは3年前、田舎暮らしをしようと一家で千葉から移住。新天地を氷見に決めたのは、以前からサーフィンに訪れていた輪島や能登町など能登半島に近いことも理由の一つだった。

 地震のあった1日も射水市の庄川河口でサーフィンをしていた。地震の振動と音は海の中でも伝わり、しばらくすると潮が一気に引き出した。懸命にもがくうち、普段とは違う波に体を強く押され、やっとの思いで浜辺にたどり着いた。斎藤さんは「今思えば、あれが津波だったのかもしれない」と振り返る。

 地震では昨年9月にオープンしたばかりのカフェも損壊。防風戸が土台から外れ、ガラスや商品は割れて散乱した。地区住民の集いの場としても浸透し始めた中でショックは大きかったが「住む場所がなくなった訳ではない」とすぐに能登の支援に着手した。

 SNS(交流サイト)で関東の知り合いに呼び掛けて物資を収集し、今月中旬から自家用車で運搬を開始。サーファー仲間やボランティア団体と連携しながら、輪島市の門前地区や七尾市など避難所に届け、食料だけでなく「ももひきが欲しい」など被災者の個別の要望にも応えている。

 物資を届ける道中には慣れ親しんだ海岸の変貌を目の当たりにした。よく訪れていた門前町黒島町の浜辺では、地震前は幅10メートルほどだった浜辺が200~300メートルに拡大。沖にあったはずの消波ブロックや岩礁がむき出しになっており「見たことのない景色で、とんでもないことになったと実感した」と話す。

 能登では住民の2次避難も進み復興の道のりは遠い。それでも、斎藤さんは再びサーフィンができる日を思い描く。3月頭の再開を目指してカフェの復旧を進めながら、今後も物資は届け続けるつもりだ。斎藤さんは「楽しませてもらったことへの恩返し。もう一度能登のビーチで時間を過ごしたい」と力を込めた。

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