大好きな珠洲、離れがたい珠洲...「私の中で大事にしたい」 実家の大田原に帰省中、移住を決断 家族と戻れる日待ち望む 能登半島地震1カ月

珠洲市在住の西本真理さん(右)と長女瑠璃さん(左)、次女瑠那ちゃん(中央)。3月末までは実家で過ごす予定だ=1月22日、大田原市市野沢

 能登半島地震発生から2月1日で1カ月。当時、栃木県大田原市内に娘2人と帰省中だった石川県珠洲市正院町、主婦西本真理(にしもとまり)さん(35)は自宅に戻ることができず、夫や義理の母親と離れ離れでいる。大好きな珠洲。離れがたい珠洲。だが今も余震が続く状況に、4月からは別の市に移り住むことを決めた。「私の中の珠洲は大事にしていきたい」。第二の故郷へ、いつか戻れる日を待ち望む。

 2015年4月、夫の実家がある珠洲市に住み始めた。能登半島の先端。高齢化が進み「陸の孤島」とも比喩されるが、奥能登国際芸術祭や秋のキリコ祭りなど、自慢もたくさんある。何より「地域のつながりや人の温かみを感じる。住めば住むほど愛着が湧いた」。

 その珠洲が地震で一変した。近所の人や義理の母の同級生も亡くなった。「いろんなことがあり過ぎて、ついていけない」。葛藤の1カ月だった。

 昨年12月27日、「年末年始はゆっくりしておいで」と夫に送り出され、長女瑠璃(るり)さん(7)と次女瑠那(るな)さん(4)と3人で大田原市市野沢の実家に帰省。1月4日には戻る予定だった。

 元日夕、大田原神社へ初詣に行った帰りの車中で地震の発生を知り、すぐに珠洲市にいた夫に電話。家族は無事だったが、自宅は屋根瓦が落ち、床が外れ、雨漏りするようになった。

 同居していた義理の母は京都府の親戚宅に避難。夫は自宅に残るが、現在も断水で水道が使えず、洗濯のために毎週、片道4時間かけて金沢市へ通う。

 「娘だけでも安全な環境で過ごさせてあげたい」。夫を案じながらも、西本さんは実家にとどまった。大田原市に相談するとすぐ長女は市野沢小へ、瑠那ちゃんはひかり幼稚園(大田原市山の手2丁目)へ通えることになった。長女は22日に初めて登校。「笑顔で帰ってきてくれて少しほっとした」と安堵(あんど)した。

 夫とはLINE(ライン)で連絡を取っている。ある日、夫が自宅で近所の人と五右衛門風呂の準備をしていた時に、那須塩原市の給水車が水を運んできてくれたという。「自分が生まれ育った栃木県から駆け付けて、自分の家族を支えてくれている」。そう思うと「うれしかった」。

 夫や義理の母と話し合い、4月から石川県南部の白山市のみなし仮設住宅に移る。「大好きな珠洲には戻れないけど、つながりはなくしたくない」。離れても足を運ぶつもりだ。

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