栃木から古里思う 能登半島地震1カ月 石川出身者、募金活動などで応援

合奏団の練習会で被災地の状況を伝え、募金への協力を呼びかける川本さん(中央)=1月20日午後、宇都宮市若草3丁目

 能登半島地震は1日、発災から1カ月を迎えた。栃木県で暮らす被災地の石川県出身者は、深い爪痕が残る古里への心配や不安を募らせる。昨年5月に続いて発生した大地震に「なんで」との思いがよぎる。ライフラインの寸断が続き、復旧復興が見通せない被災地。「少しでもできることをしたい」。栃木から古里を支えようとしている。

 「なんで能登なんだ」。足利市、会社役員川本孝一(かわもとこういち)さん(74)はやり切れなさを口にした。

 石川県珠洲市生まれ。18歳の時、集団就職で上京した。勤務先の異動で足利市に暮らし、会社を興した。実家には年に5回ほど帰省する。元旦の夕刻、地震が古里の日常を奪った。

 珠洲市内の親類宅が土砂崩れに巻き込まれ、11人が生き埋めになった。2人は救出されたが、7人が亡くなった。今も見つかっていない親族がいる。

 「むごい運命を受け止めないといけないなんて…。神も仏もないじゃないか」。川本さんは声を落とす。

 1月20日夕、宇都宮市内の公共施設。川本さんは自作した募金箱を手に、毎月通う合奏団の練習会で、団長と募金への協力をお願いした。職場にも募金箱を置いている。

 住民の避難先や安否不明者の情報をニュースや交流サイトでかき集めたり、被災地の知人に届けたりもした。「自分にできることをしたい」との思いからだ。

 「地元の人たちの悲しみは深いと思う。今は見守るしかできない」と川本さんは話す。ただ、遠く離れていても、心は古里とともにありたいと思っている。

 昨年12月、バスケットボールの全日本大学選手権大会で日本一になった白鴎大男子バスケットボール部。当時の主将の小山市、小林尚矢(こばやしなおや)さん(22)は地震のニュースに胸が苦しくなる。

 石川県小松市の実家に帰省していた元日。家族らと初詣に行った市内の神社で、携帯から緊急地震速報が鳴り響いた。感じたことのない大きな揺れ。「みんなパニックだった」。実家内は物が散乱。同市内は1600棟超の住宅が被災した。

 小林さんは1月上旬、本県に戻ったが、心配や不安は尽きない。甚大な被害が出た穴水町には高校時代のバスケ部の友人もいる。

 「もう1カ月経つが、まだライフラインや余震が心配。大変な時期が続くと思うけど、頑張ってほしい」。募金箱を見かけると、応援の思いで寄付している。「少しでも力になりたい」と古里に心を寄せる。

小林尚矢さん(白鴎大提供)

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