「俺らのまち」で友を待つ 珠洲市飯田町・浅井敬祐君(11)

テレビゲームで遊ぶ同級生の(左から)浅井君、浜岡君、橋本君=1月26日、珠洲市飯田町

 正月の地震発生から1カ月が過ぎた。被災地の悲しみは深いが、復興への足音も聞こえ始めている。能登の地力に焦点を当てた本紙連載「能登に生きる」(2003年1~7月)から21年。大きな被害に見舞われても、懸命に前を向く人々の姿を追う。

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 珠洲市飯田町の炉端焼き店「あさ井」。2階の住居部分からにぎやかな声が響いた。「やっべえ、また負けた」。1月26日、テレビゲームで遊んでいたのは、この家に住む飯田小5年の浅井敬祐(けいすけ)君(11)と同級生の橋本武尊(たける)君(10)、浜岡晃久君(11)だ。

  ●保育所から一緒

 3人は保育所から一緒の親友だ。しかし、そろって遊ぶのは、この日が「最後」。橋本君は翌27日、岐阜への引っ越しが決まっていた。

 「なんで離れんなんが。嫌や」と、テレビ画面を見ながらつぶやいた橋本君。浅井君は「ここは俺らのまち。待っとるよタケル」と応えたが、表情はさみしげだった。地震は子どもたちの日常も奪ってしまった。

 1月1日、浅井君は家族5人で車に乗り、店の仕入れも兼ねて七尾市へ向かった。能登島をぐるっと一周。楽しいドライブは帰路の穴水で一変した。車内が大きく揺れ、近くのコンビニに止めて車の外に出たところ2度目の揺れが襲った。

 「ぐるぐる回るみたいに揺れて、車にしがみついていたけど立っとられんかった」。自宅を目指し、いろんな道を迂回(うかい)して何とか見附島近くに着いた時、周りは真っ暗だった。

 車を置いて家族でひび割れた道を歩きながら、友だちのことが心配になった。飯田小の同級生11人は全員男子で、保育所も同じ。「みんなの顔を思い出すと、元気が出た」。励まされるように足を進めた。

 車なら10分程度の家までの道を1時間歩いてたどり着くと、電気はつかず、1階の店は食器が落ち、ガラスが散らばっていた。その夜は車で寝て、翌2日は飯田小に避難し、3日に金沢の親類宅に避難した。

  ●2人は引っ越し

 珠洲に戻ったのは、店と小学校の再開を控えた23日だった。友達との再会が楽しみだったが、11人のうち2人が金沢と岐阜に引っ越すことを知った。

 「余震は怖いし、ドキッとする。夜だと目が覚めて寝れんくなる」。浅井君は不安げに話すが、両親の前では気丈に振る舞う。「お父さんもお母さんも店があるし、大変や。心配掛けられんから」。あの日を境に少し大人になった。

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