「みんな被災しているので どうしようもできない」この街で暮らしたいが…ボランティア受け入れに遅れ【能登半島地震1か月】

能登半島地震の発生から2月1日で1か月。能登半島地震の特徴のひとつとして言われているのが、災害ボランティアの受け入れの遅れです。道路など、インフラの被害も大きく、受け入れ態勢が整わず、ようやくボランティアの活動が始まった地域もあります。

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2月1日午後4時10分。能登半島地震の発生から1か月が経ち、被災地では黙とうが捧げられました。元日を襲った最大震度7の揺れは240人の命を奪い、いまだ15人の安否がわかっていません。

<植田麻瑚記者>
「震度7を観測した石川県志賀町です。発生から27日が経ったいまも、ほとんどの住宅のがれきがそのままの状態となっています」

志賀町を取材で訪ねたこの日、ようやく災害ボランティアの活動が始まりました。今回の地震は道路状況などの安全を確認するのに時間がかかり、ボランティアの受け入れが遅れています。

<植田麻瑚記者>
「志賀町の野球場です。災害廃棄物を持ち込む住民の長い列ができています」

志賀町では、町の野球場を災害廃棄物の仮置き場にしていて、この日、ボランティアは住民が運び込む廃棄物の荷下ろしを手伝いました。

<大阪から来た人>
「いままでいろいろな災害を経験していますし、その都度誰かが助けに来てくれたり、お互い支えあってきたので、少しでも力になれたらと思って来ました」

<被災者>
「楽やわ。いままでは1人で全部やらないと」

ボランティアはトラックを運転し、被災者の家にも出向きます。依頼した宮坂猶治さんの家からは倒れた机やタンスなどの家具が運び出されました。

<宮坂猶治さん>
「ありがたいです、本当に。友達に頼むと言ってもみんな被災しているので。どうしようもできないですから。ガラス拾っているくらいで。瓦もそのままだし」

宮坂さんの家にボランティアが来ているのを見て、近くに住む女性が声をかけました。

<冨森康子さん>
「こういうのを誰に頼めばいいんですかね」
<ボランティア>
「ボランティアセンターのほうに連絡してもらって、きょうすぐにとは、たぶん無理だと思うんですよね。電話番号お伝えしますね」

冨森康子さん(78)。ボランティアの活動が始まることは知っていましたがどのように頼めばいいのか、分かりませんでした。

<冨森康子さん>
「どうしていいか分からない、この先も。どうしていくのかな。やっぱりここから離れるのも寂しいし、何とかここに帰ってきたい、おりたいと思うんです」

日常を一瞬にして奪った地震。発生から1か月が経ち、仮設住宅が完成するなど支援の輪は広がっていますが、中には、いまだ現実を受け止め切れない被災者もいて、復旧への道のりはまだ整ったとは言えません。

今回の地震ではボランティアの受け入れに時間がかかっています。石川県内の現在のボランティアの状況をみると、取材した志賀町を含む3つの市や町では、1月27日から始まったものの、道路の寸断や宿泊施設などの被災を背景にまだ受け入れの見通しが立っていない地域もあります。

こういった先が見えない状況の中でも、被災者の方がそろって口にしたのは「この街で暮らし続けたい」という思いです。災害ボランティアの役目は重要で、ボランティアの物理的な支援はもちろん、被災者の心の支えになるという意味でも、復旧・復興の原点になるのではないかと感じました。

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