深夜の避難所から出漁 能登町波並・中田隆史さん(63)

無事だった船を前に地震当時を振り返る中田さん=能登町波並

 岸壁に立つと、あの日の緊迫感がよみがえる。「港の水位がかなり下がっていた。これは津波がすぐに来ると思ったわ」。波並(はなみ)大敷網組合(能登町)の組合長である中田隆史さん(63)は、いつもの穏やかさを取り戻した内浦の海を見詰めつぶやいた。

 能登町の能登七見健康福祉の郷「なごみ」で湯船に漬かっている時に地震がきた。「天井が落ちる」と思うほどの揺れ。体を拭ききらないまま、服を着て外へ。漁師の「命」とも言える船と港は無事なのか。港へ急いだ。

  ●「命を守らんなん」

 20分後の午後4時半ごろに港に着くと、水位がぐんと下がっていた。引き潮は津波の前触れだ。仲間を集めて沖出し(船の損傷を防ぐため沖に出すこと)も考えたが、そんな時間はない。「命を守らんなん」。急いで高台の藤波運動公園に向かった。

 幸いにも船は無事だった。宇出津港の県漁協能都支所は競り場の屋根が傾き、地面は隆起し、競りができる状態ではない。避難所の三波公民館に身を寄せながら考えた。「ずっとこのままという訳にもいかん」。

 1月12日、地震後初めて漁に出た。それからは毎日のように海へ。避難所が寝静まった午前1時ごろ、まわりの人を起こさないよう、物音を立てずに出て港へ向かう。

  ●多くの仲間がいる

 ブリの豊漁が期待できる1月上旬を逃したのは痛かった。捕ったブリは金沢に運んでいるが、地震の影響から道路状況が悪く、運べる量も限られる。ただ、珠洲や輪島には船を失った漁師仲間がたくさんいる。そんな境遇を思えば、漁に出られるだけで感謝の思いは尽きない。

 「こんな状況でも一緒に漁に出てくれる多くの仲間がいる。昨年5月の地震の後もそうだった」。海で生きていく、と決意するように中田さんの目は力強かった。

© 株式会社北國新聞社