【松村北斗(SixTONES)インタビュー】映画『夜明けのすべて』を通して、印象に残った“言葉”

©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

2月9日(金)より公開となる松村北斗(SixTONES)&上白石萌音がW主演を務める映画『夜明けのすべて』。第74回ベルリン国際映画祭「フォーラム部門」に正式出品が決定し、世界からも注目を集めている本作。パニック障害を抱える青年・山添くん(松村)と、PMS(月経前症候群)に悩む女性・藤沢さん(上白石)が出会い、お互いを理解していく中で紡がれる物語を描いている。

会社の同僚である山添くんと藤沢さんは、最初は相手を理解できないでいるが、共に生きづらさを抱えていると気づいたときに、自分のことはどうすることができなくても、相手のことなら何か助けられることがあるのではないか?と思うようになる。

恋人でもないし、友達という感じでもない山添くんと藤沢さん。その微妙な関係性や、パニック障害を抱えるという役どころに対して、松村はどのように向き合ったのだろうか。本作を通して感じたことを語ってくれた。

【松村北斗(SixTONES)】映画『夜明けのすべて』場面写真

パニック障害を作品の面白みにしたり、見世物にしたりするような立ち回りはしたくない

©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

――山添くんはパニック障害を抱えている青年ということで、ご自身でも勉強をされたそうですね。

パニック障害について、僕はいわゆるテレビなどで知るような一般的な知識しかなかったので、山添くんというキャラクターに近づくためには必要なことだと思っていろいろと調べました。

そうしてみると、SNSで実際に自分が患っている方や、家族・友人が患っているという方、あとはそういう方たちの手助けをしているお医者さんとか、当人の言葉で知れるものがたくさんあって。それにプラスして、パニック障害がどのようなものかを解説している文章なども読みました。

調べてみてまず思ったことは、人によってそれぞれ症状が細かく違っているということで。パニック障害と言っても、すぐに「こういう症状です」とは言えないんだと知りました。

なので今回、そのうちの何を、誰を参考にするのか、というのもあったのですが、撮影が近づいてきたタイミングで、(監督の)三宅(唱)さんが全員で共通してこの認識を持ちましょうという資料を作ってくださったんです。だから、それによって山添くんが定まったところもありました。

――演じる上で、不安はありませんでしたか。

もちろんありました。ただ原作を読んだとき、この作品におけるパニック障害への向き合い方として、正解だなと思ったことがあって。“見世物”にしていないんです。それが一番大きかったです。

このお話はパニック障害を抱えている青年、PMSを抱えている女性、他にもきっと水虫を患っている人、腰痛を抱えている人とか、いろんな人が居て、そういう人たちが住む街の暮らしを描いている。あくまでどこかにあるような街の人たちの生活を描いているんですね。

その作風が、自分の中では当事者の方たちに対して、失礼に当たったり、傷つけたり、間違ったりした扱い方ではないと感じられました。

僕自身、パニック障害を作品の面白みにしたり、見世物にしたりするような立ち回りはしたくないと思っていたし、あくまでこの世界のどこかにいそうな山添くんという青年の生活を表現するまでだと思っていました。

それがパニック障害というものを扱ってエンターテインメントを作る上で、一つの礼儀だと。やり方は何種類もあるとは思うけど、僕は今回、そのように感じて挑みました。

いかに頭で考えずに、気持ちで寄り添えるか

©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

――映画を観ていて、“山添くん”という人が、本当にこの世の中のどこかにいるような実在感がありました。

前提として、僕は俳優ではなく、アイドルであって。人によってはアイドルがルーツなだけと捉えるとは思いますけど、アイドルとして活動をしている以上、歌や踊りに熱量を注いでいるので、やはり芝居に真正面から向き合って、技術を高めたり、知識を増やしたり、感覚を磨いたりするために割く時間は少ないと思います。

見せ場を作ることや、物語の波を読んで乗っていくこととか、そういうことが上手い方ってたくさんいらっしゃいますけど、自分にはそれができない。他の方のお芝居を見ていて、技術量の差をいろんなところで感じています。

もしかしたら、技術の問題ではなく、別の問題があるのかもしれないけど、現状の自分の認識では技術が足りないと思っているんです。

なので、僕のような俳優ではない人間がお芝居をする上でできることと言えば、変にカッコつけて見せ場を作ろうや、ここで感動させようとか、そういうことを考えないこと。いかに頭で考えずに、気持ちで寄り添えるかだと思うんです。

そういう想いでお芝居に挑んでいることが、もしかしたらおっしゃっていただいたような実在感に作用しているのかもしれません。

あとはやはり三宅さんの力が大きいと思います。三宅さんの撮り方って、キャラクター全員を、本当にその街があって、そこの住人のようにできる不思議な力があるんです。だから、僕が変な欲をなくせばなくすほど、本当にその場に居るだけのような人になれたのだと思います。

逆に三宅さんの意図することを教えられてしまうと、それに応えようとする欲が出てしまうから、素直に三宅さんの描く世界に馴染もうと必死でした。

©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

――キャラクター目線の画ではなく、キャラクターを客観的に捉える引いた画が多かったことで、より実在感を得られたような気もしました。

三宅さんがおっしゃっていたんですけど、最初から山添くんと藤沢さんの2ショットに引きの画を多用するつもりではなかったそうです。けど、二人を撮ってみたら、今、どこに居て、どういう状況でっていうのが全部見えてこそ、この二人の意味がわかると思ったそうなんです。

だから僕らも「今、この部分を撮られている」とかではなく、「この場にちゃんと居ること」を意識していました。近くを通った人影や、あっちの方から聞こえてくる声を気にするとか。

そういうものを大事にしたいという想いと、そういうところまで撮りたいという三宅さんのやり方が合致して、より実在感のあるキャラクターになれたのではないかと思います。

山添くんと藤沢さんの関係性が、現場ではずっと続いていた気がします

©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

――藤沢さん役の上白石萌音さんとは、朝ドラ『カムカムエヴリバディ』(NHK/2021年下半期放送)で、夫婦役として共演しましたが、その際の経験が上手く作用したと思うことはありましたか。

最終的には死別してしまいますが、夫婦を演じたことで、役を通した不思議な絆のようなものがあったと思います。上白石さんもインタビューを一緒に受けたときに、以前の経験がいい形で作用したと思うとおっしゃっていました。

お芝居をする上で、この人に対しては何でもできるというか、変な違和感のようなものを感じることなくできる感覚がありました。今回、再会したときも、すでにお互いに役のモードに入っていたので、劇中の二人のような関係性で会話ができていました。

後腐れのない会話というか、ずっとしゃべっているわけではなく、一旦、盛り上がって、それが収まるとしゃべるのを止めてみたいな。役としてしゃべっているとかではないですけど、山添くんと藤沢さんの関係性が、現場ではずっと続いていた気がします。それは朝ドラでの地盤があったからできたんじゃないかと思っています。

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――藤沢さんと山添くんの友達でもない、恋人でもない、既存の関係性を言葉では表現できないような間柄がとてもいいなと感じました。

僕も上白石さんもその微妙な関係性を表現することを、すごく意識しながらお芝居をしていました。例えば、夜、二人きりで部屋で過ごすとか、一般的な捉え方をすると、恋愛感情のようなものが存在するんじゃないかと考えてしまうと思うんです。

ポスターとかにも使われている二人が並んでいるメインビジュアルも「恋愛関係なのでは?」と勘繰れる距離感だったりしますけど、当人たちには全くそういう意識がない。

そんな不思議な関係だけに、とりあえず、僕ら二人が思うままにお芝居をしてみると、傍から見たら「本当に恋愛感情はないの?」とツッコミを入れたくなるようなときもあったんです。そのときは二人の間の距離を少し離してみたり、逆に近づけてみたり、いろいろとシミュレーションをしながら調整していきました。

部屋でのシーンも、机を挟んで向かい合って二人が座っているんですけど、三宅さんは、もしかしたら二人が一緒に部屋で過ごした時間の中には、横並びに座っていた瞬間もあったかもしれないけど、そこは敢えて切り取らないという調整をしてくれて。

藤沢さんが二人で食べたポテトチップスの残りを口に流し込む場面も、どこで食べるのが一番いいかを何回も試してみたり。あくまで映画を観た人の感覚を大事にしながら、三宅さんが二人の絶妙な距離感をチューニングしてくださいました。

演じる僕らに対しては、「二人にこういう瞬間もあったかもしれないけど、映像ではこの瞬間を切り取りましょう」と、僕らに嘘が生まれないようにしてくださって、映画を観た人には変な勘繰りをしなくてもいいように見せてくださって、どちらにとってもベストな選択をしてくださる監督でした。

――一度、夫婦役で共演されているお二人だからこそ、観る側が勘繰ってしまう部分もあったと思うのですが、その点について上白石さんと話すことはありましたか。

そこに関してはしなかったです。というのも、しなくていいくらい物語自体に説得力がありましたし、三宅さんが撮るものに対して信頼がありました。それは撮影が始まってすぐにわかったので、二人で話す必要がなかったです。

©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

――藤沢さんが山添くんの髪の毛を切るというシーンは、実際の松村さんの髪の毛を上白石さんが切るという場面でしたが、現場はどのような状況でしたか。

緊張しました。上白石さんは実際の僕の髪の毛を切るということで、切る位置とか、いろいろと間違えられないというプレッシャーがあって。僕は切られるだけなんですけど、逆に僕がした小さな何かで、上白石さんの成功を潰すことになったらどうしようと思うと、どんどん緊張して硬くなってました。

けど、それじゃあダメだと思って。左側の髪の毛を切られるんですけど、「最悪、右側が残ってるし」と思うようにして、気持ちを落ち着けるようにしていました。台本上、髪を切られたあとに笑うとなっていたんですけど、それももし切られてみて、面白くなかったら笑わなくもいいやとも思うようにして。

「藤沢さんが切るって言うから切らせてあげよう」みたいな感覚に僕自身もなって、「どうなのかな~」くらいで挑んでみたら、本番であんな音は聞いたことがないって思うような音がしたんです(笑)。

テストの段階では本当の髪の毛を切ることはできないから、ハサミを持って切る動きだけをやっていたんですけど、いざ本番になって、実際の髪の毛にハサミを入れてみると、結構な量を手に取っているから、ひと断ちでは切りきれなくて。

“ジョ、ジョ”って髪にハサミを入れる音がして、しかも刃先に行くと力が伝わらなくなるからなかなか切れなくて、3断ちくらいでようやく切れたから、その時の音と、髪の毛がスカって無くなる感覚が、片耳が取れたのかな?と思うくらいの衝撃でした。

そのおかげで冷や汗もかきましたし、とんでもないことが起きているような気持ちになって、急いで切られたところを見てみたら、よくお笑いでも緊張と緩和みたいなことを言いますけど、まさにその感覚で。

髪が切れてる以外は何もなくて良かったという安堵感と、切られたあとがパツンと真っ直ぐになっていたことの面白さとで、演技ではなくて本気で笑ってしまいました。カットがかかったあと、ちょっと笑い過ぎたかな?って思いましたけど、本気ですごく面白かったです(笑)。

「生きづらい世界」なのではなく、「気持ちいい世界」で、各々の生きづらさがあっただけ

©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

――原作と映画では違う描かれ方をしている部分もありますが、それについてはどう思っていましたか。

原作を読み終わったときと、映画を観終わったときの感触や受け取るものが、僕は一緒だと感じました。想像の話になってしまうけど、逆に原作のままで実写化していたら、こんなふうには感じられなかったんじゃないかと思います。

小説を読んでいるときは、読んでいる人それぞれが頭の中で情景や人物を想像するけど、実写はそこに実体が存在しますよね。三宅さんはその上で、届けるべきもの、映すべきものを捉えているんだろうなと。

小さな街の、二人の話だけど、それを宇宙まで広げたことで、その二人の話がすごくちっぽけで可愛らしいものにも見えるし、空を見上げると、この宇宙の一部なんだと感じられる、すごく壮大なものにも見える。映画を観ながら遠くに行ったり、近くに行ったりを繰り返すことで、奥行きがすごく出るなと思いました。

それから、山添くんと藤沢さんが抱える生きづらさも、きっと漠然としていて、宇宙みたいなものだとも感じるんです。その不安感とかも繋がって、この映画での描き方は必須だったんじゃないかと思えました。

山添くんと藤沢さんが最後に選ぶ道に関しても、僕はそれぞれに明るい未来が見えると思えたし、あの選択が一番良かったんだろうなと思っています。

©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

――本作について、松村さんは「生きづらさを描きながらもとても気持ちのいい話だった」とコメントされていましたね。

「生きづらい世界」が、この物語の入り口のような気がしたんですけど、終わるころにはとても気持ちのいい世界なんだけど、そこで生きづらさを感じていただけのように思えました。

ここが「生きづらい世界」なのではなく、「気持ちいい世界」で、各々の生きづらさがあっただけの話。そう思えたときに、すごく「気持ちのいい話だった」と感じられたんです。

あくまでも最後まで「生きづらさ」というものはまとわりつくし、山添くんにもまだまだ「生きづらい」と感じることはあるんだけど、きっとそこから抜ける方法もどこかにちゃんとあると思える。そこに気持ち良さを感じたのだと思います。

――エンドロールが、その気持ち良さみたいものを表現しているようにも思いました。

あれはズルい(笑)。「三宅さん、いいの撮るな~」って思いました。

もっと周りを頼ってもいいのかな

©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

――改めて、松村さんがこの映画を通して感じたことを教えてもらえますか。

山添くんのセリフの「助けられることはある」という言葉が印象に残っています。自分自身の苦しさを拭いたいと思っている中で、他の人のことなんて考えられないっていうのもあるけど、どこかで助け合えるんじゃないかということに希望を感じました。

山添くんと藤沢さんは、自分の中で堂々巡りをしていたことが、助け合えるということに気づいたときから、いろんなものがこれまでとは違う巡り方をするようになって、最終的にはある程度浄化できるところまでいけた。

誰かのことを助けられることはあるってことが抜けて落ちてしまうことで、自分のことも遠回りしてしまっていることが、たくさんあるような気がしました。

――今回、役者として得られたことはありますか。

お芝居ができないながらも、自分でどうにかしなきゃと思うところがあって、それで頑張ろうとしてしまうけど、もっと周りを頼ってもいいのかなと感じました。

周りからの影響を受けて、それに突き動かされていること、助けられていることがたくさんあるなと。それを自然と受け取って、自然と返せるくらいの気持ちの余裕があってもいいのかもしれないと思いました。

それからもう一つ、クランクインの前に、三宅さんが、この作品のムードを感じられる音楽のプレイリストを作ってくださったんです。それがすごく自分にフィットして。実際にその曲たちが山添くんを演じる上での感覚にもハマりましたし、曲から気持ちを作るというやり方もハマりました。

演じている最中もその曲たちが頭の中に流れていることがあって。ビートルズの「イエスタデイ」は、自転車に乗っているシーンで、鼻歌で出てしまいそうになるくらい、頭の中で流れていました(笑)。

©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

――本作を通して、改めて人の温かさや優しさを感じることはありましたか。

出てくるキャラクターはそれぞれに深刻な悩みを抱えていますけど、全体としてなんでこんなに温かみを感じる作品になっているんだろうと考えたとき、きっと、世の中は割合として温かいことや、素敵なことのほうが多いんじゃないかと思いました。

それから、人と人の関係って一瞬で終わることも多いけど、その中でも温かさを渡し合っているんじゃないかと。もちろんそれができないときもあるけど、本当は誰でもできる力は持っていて、そういうものに満ちているから、息苦しいと感じることがあっても、生活ができているんじゃないかと感じました。

そう考えると自分の人生の振り返り方も少し変わりました。自分はかなりいい人生を送っているんじゃないかと、はっきりと思えるようになりました。


松村さんと上白石さんが以前、夫婦役で共演したこともあり、心に傷を持った男女がお互いを慰め合いながら芽生える愛の物語を想像した人もいるかもしれませんが、恋愛感情がなくても、人としてお互いを尊重し、気遣い合う二人の関係性が、お二人だからこそ伝えられる空気感で紡がれています。

インタビューでは一つひとつの質問に、真剣に、ときに考え込みながら答えてくださっていた松村さん。その言葉を、映画を観た上で、改めて受けて止めてみていただければと思います。

作品紹介

映画『夜明けのすべてL』
2024年2月9日(金)より全国公開

(Medery./ 瀧本 幸恵)

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