「彼が好きだから…」と“我慢する”女性が幸せなゴールを迎えられないワケとは

付き合っている恋人がいるけれど、意見が違うときや喧嘩に発展しそうなときはつい自分が我慢をして相手を正解にしてしまう。

それが愛情なのだと思っているうちは続くけれど、自分の気持ちを抑えることに疲れてしまうと、お付き合いそのものが苦しくなります。

我慢は「好きなら当然」の場合もたしかにありますが、常にそうだとつらくなるのは自分です。

交際相手と本当に居心地のいい関係を築くためには、自分の気持ちにどうあるのがいいのでしょうか。

自分の気持ちを抑圧することのリスク

たとえば、デートのときに食事をするお店を決めるとき、恋人と食べたいものが違っていたり行きたいお店を提案すると色よい返事がなかったり、意見が別の場面で相手の希望を優先することは、誰でもあるかと思います。

本当は辛いものは苦手なのだけど、恋人がそれを食べたいと言うから我慢して付き合う、それを「好きなのだから当然」とできても、「食事に満足できない自分」は残りますよね。

自分の気持ちや希望を伝えるのを控えてしまうと、一緒にいるのに自分だけに不満や不足が残ることになり、心から「楽しかった」とは言えなくなるものです。

そう思えないのに相手に合わせた以上は言葉も揃えるしかなく、抑圧された思いは出口を失って心の内側に居座ります。

そもそも「辛いものが苦手」とする自分を相手にきちんと伝えられているか、我慢が当たり前の人は恋人が辛いものが好きとわかるとその自分を引っ込めてしまい、何とか付き合っていこうとするのもよくあることです。

恋人の在り方を否定する気はいっさいなく、「受け入れるのが愛情」とするのは前向きさだと感じますが、一方で「違う」ことに罪悪感のようなものを覚え、無理をしてまで相手の要求を優先していると、疲れが溜まるお付き合いにはならないでしょうか。

自分の気持ちを抑圧することのリスクは、その自分を相手は見ることで「理解してくれている」「不満はない」と信じてしまう部分にもあります。

自分が「我慢」をさせている、なんて思いたくないのは当たり前で、笑顔でうなずくこちらを見ればそれを信用しますよね。

実は行きたくないのに付き合ってくれていたともし後で知れば、相手はショックであり「言ってくれたらいいのに」とこちらの状態に不満を覚えます。

こんなすれ違いが、愛情をまっすぐ育てることを阻みます。

「我慢」は当然ではなく、自分の気持ちを正直に伝え合える関係が、長続きする交際には不可欠です。

自分の要求を知ってもらうことは「悪」ではない

相手と自分の食べたいものが違うとき、「辛いものもあって、それ以外のメニューも楽しめるところがいいね」とできるのが対等です。

その気持ちは図々しさや身勝手では決してなく、「ふたりでその時間を楽しむ」を前提にして話し合えることが、居心地のいい交際には欠かせません。

相手の気持ちを優先するのが愛情の証であって、「好きだからこそ我慢する」のを当たり前にしていると、「本当はこうしたい」と思う自分の気持ちを否定することになります。

自分の本音を言わない、「違うから伝えないほうがいい」とする人のなかには「自分の要求は悪いものだ」と思い込んでいる場合がありますが、先の段落でも挙げた通り、気持ちの抑圧は「疲れ」を招きます。

相手を好きなはずなのに、我慢することが多くて心が疲弊するようなお付き合いが、自分にとって幸せだと言えるでしょうか。

心に湧いた要求を「悪い」とするのは「求める自分」に自信を持てないからですが、思うこと自体を否定する必要はありません。

身を置く場面によって要求を持つのは誰もが同じであって、それは「間違い」ではなく自然な心の動き。

そう思った自分を否定するのではなく、「私はこう」と伝える姿勢が、相手にとっては理解を深める大切なきっかけになります。

相手の要求を知って「そうなのだね」とする自分と等しく、相手もこちらの思いを知って理解していくのが、健全な愛情です。

要求を伝える姿が相手にとっては信頼の証になることを、忘れてはいけません。

「我慢」を強いる人の心理

ところが、人によっては「好きだからこそ我慢する」ことを相手に求める場合があります。

自分と相手の要求が違うとき、互いにとって納得できる道を探すのではなく、自分に合わせてもらうのを当然とする人のことです。

多くのケースでそれを「愛情の証」と当人は感じており、相手の我慢や忍耐、感情や肉体の負担は考えません。

自分の要求は「相手も」等しく受け入れるのが愛情だと思い込むのは、自信がないからです。

自分と相手は対等なのだと本当に思っていれば、相手の気持ちを知ってそれを受け入れることを避けません。

相手の要求や気持ちを自分に合わせて曲げさせることに痛みを覚えれば、退けることはできないのですね。

そうではなく、相手の状態を無視して我慢させることを求めるのは、それによって自分が正しいと思いたいから。

自信があれば、相手の承認がなくても自分の思いに不安を持ちません。

相手には相手の気持ちがあり、それが自分とは別のものだという現実に怯え、「悪い」とするのが我慢を強いる人の心の状態。

相手に合わせてもらうことでしか自分に自信を持てないのが我慢を強いる人であって、一緒にいる限りこちらの気持ちは抑圧が当然となります。

その結果、こちらばかり我慢することが多くなれば、愛情が消えていくのもまた当たり前のことです。

「我慢」は強いるものでも愛情の証でもなく、違いはふたりで解決する姿勢が、居心地のいい関係を築くためには重要です。

普段から意識したいこと

衝突や気持ちのすれ違いが起きたら…

好きだからお付き合いをするのであって、一方で「好き」だけでは解決できない場面も、交際では起こります。

意見の衝突や気持ちのすれ違いは、相手と自分の「違い」を目の当たりにするから痛みが生まれ、うろたえます。

そのときに、自分と同じではない相手の気持ちを拒絶で済ませるのは弱さであり、「違うからこそ本音を伝えあっていい在り方を探す」力が、自分にとっても自信を失わない姿勢です。

ネガティブな感情が生まれる場面でいきなり自分の本心や本音を口にするのは難しく、自分の気持ちは普段から相手に知ってもらうことを、意識したいですね。

「私はこう思う」「こんな考え方もあるよね」と、自分の思いを届けることにためらう必要はありません。

それを知れば相手も「自分はこうかな」と同じように思いを口にすることができ、そうやって互いの理解は深くなります。

会話でもってコミュニケーションをとっていくことは、相手と自分を知る貴重な機会であり、「こう思う自分はおかしいのでは」と決めつけるのではなく、まずは伝える姿勢を、普段から心がけたいですね。

互いを「等しく知っていく」機会を繰り返すことで我慢を少なくし、衝突や喧嘩が起こっても一緒に解決を探そうとする姿勢が、居心地のいい関係にはあります。

「好きだからこそ我慢する」のを美徳のように取り上げる人もいますが、自分の気持ちを抑えてまで相手に合わせ続ける交際の結果がどんなものか、幸せなゴールを迎えたケースを筆者は知りません。

我慢は当然ではなく、「一緒にその時間を楽しむ」前提で話し合うのが対等であり、健全な愛情には欠かせません。

自分の思いは普段から届ける姿勢で、交際相手とは信頼を育てていきたいですね。

(mimot.(ミモット)/ 弘田 香)

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