山形ドルフィンクラブ(山形)、3月末で営業終了 会員減、施設老朽化で

今年3月末で営業を終了する山形ドルフィンクラブ=山形市城西町1丁目

 県内初の民間スイミングスクールで、多くのアスリートを輩出した山形市の山形ドルフィンクラブ(DC、佐々木賢二社長)が今年3月末で営業を終了することが5日、分かった。新型コロナウイルス禍に伴う会員数の減少が響き、施設の老朽化が進んでいることから事業の清算を判断したという。関係者からは、地域に親しまれたクラブの閉業を惜しむ声が上がった。

 「べにばな国体」に向けた競技力向上を目指し、山形DCは1981(昭和56)年に営業を開始した。県内の水泳関係者有志11人が独自にプールを造り、施設を運営。県勢初の競泳競技代表として88年ソウル五輪に出場した県水泳連盟会長の武田聡さん(55)、東京パラリンピック競泳男子代表として2種目入賞を果たした東海林大さん(24)らを輩出した。

 山形DCによると、最盛期の1990年代後半に2200人だった会員数はコロナ禍で800人ほどに減り、経営赤字に陥った。5類移行後も経営環境が回復せず、築40年以上が経過した施設の修繕・維持費も重くのしかかったという。

 佐々木社長は「できるだけ迷惑をかけない形で清算する判断をした」と語った。会員には今月3日に郵送で通知した。

 中学1年時から山形DCに通った武田さんは「人格形成の面でも大きな影響を受けた。山形の水泳界をけん引してきた大切なクラブだけに、言葉にならない」と残念がった。県水連会長の立場としては「(会員の)水泳の道が閉ざされることがないように詳細を確認したい」と語った。

 東海林さんは「まさか、という思い。人として人生で大事なことを学び、経験させてもらった」とし「(パラ競泳の)世界選手権での世界記録(当時)樹立や東京パラの代表入りはいつも丁寧に指導してくれたおかげ。残念だけど、世界で戦えるまでに成長させてくれたクラブには感謝の気持ちしかない」とかみしめるように話した。

© 株式会社山形新聞社