41年前に設置された「アーチ看板」の一部を保存へ 住所の表示変更で消えた「長者町」のシンボル 名古屋

名古屋の中心街にかかっている「長者町繊維街」と書かれたアーチ看板。

近く撤去される予定でしたが、一転して「町のシンボル」として一部を保存することに。管理する組合が名古屋市と正式に合意したことが分かりました。

(名古屋長者町協同組合 船戸善己 事務長)
「大学卒業して、この町に来た、就職で。半世紀、この町にいる」

名古屋長者町協同組合の船戸善己事務長は大学卒業から半世紀、この「繊維の街」で過ごしてきました。

(名古屋長者町協同組合 船戸善己 事務長)
「上位何社かはハワイ旅行に連れていくとか、御園座に招待するとか。そのぐらい売り上げがあった」

組合は1950年に設立。

中区の「長者町繊維街」は「日本三大繊維問屋街」に数えられるまでに成長し、ピーク時の会員は100社。

会員の全員がまさに「長者」だったといいます、しかし…。

(名古屋長者町協同組合 船戸善己 事務長)
「人口減少・流行の変化。小売店から買うのではなく、スマホで買ったり通販で買ったり」

「量販店」や「ネット通販」の台頭で、会員は現在17社にまで激減しました。

「組合解散ということになったから、壊さなければという話に」

そして2023年8月。

(名古屋長者町協同組合 船戸善己 事務長)
「組合解散ということになったから、壊さなければという話になった」

組合の解散に伴って、1983年に設置された5基のアーチ看板も撤去されることが決まっていましたが、組合などによりますと1月中旬に大通りに面した2基を保存することで名古屋市と正式に合意したということです。

ところで、「長者町」は江戸時代から続いてきた由緒ある地名ですが、昭和の住所表示の変更でなくなってしまいました。

(名古屋長者町協同組合 船戸善己 事務長)
「地図上には(長者町は)ない。『丸の内2丁目』『錦2丁目』だから。知らない人が見ると『長者町はどこにあるんだ』と。問屋というより市民に愛される町になってほしい」

アーチ看板の保存に必要な費用1000万円は、組合の会員らが工面したということです。3月末までに修繕を行い、地元のまちづくり団体に引き継がれる予定だということです。

© CBCテレビ