珠洲焼18窯全て倒壊 制作できず、作家ら市に窮状訴え

地震で全壊した田端さんの工房=珠洲市三崎町二本松

  ●「陶芸センター復旧、共同窯確保を」 再開まで1、2年

 珠洲市内に全18カ所ある珠洲焼の窯が、1月1日の地震で全て倒壊したとみられることが市や地元の作家団体「創炎会」の調査で分かった。全ての窯を再建し、制作を再開するまでには1、2年かかるとみられ、中には引退を考えるベテラン作家もいる。創炎会は伝統工芸の火を絶やすまいと共同窯の確保などを市に要望しており、創作の場を一刻も早く復活させたい考えだ。

 市は今月8日に市内の窯の被害調査を開始し、13日までに終了した5、6カ所で、いずれも工房の倒壊や窯の崩落を確認した。創炎会は市とは別に独自に被災状況を調べ、全ての窯元から被害の報告があったという。

 会長の篠原敬さん(63)=若山町出田(すった)=によると、珠洲焼の窯は耐火れんがを積み上げる構造のため揺れに弱く、昨年5月の奥能登地震でも被害が出た。篠原さんの窯も壊れ、昨年10月末に再建したが、火を入れることなく1月1日の地震で再び崩れた。

 篠原さんは、市内で全ての生産がストップしている現状を憂い、ガス窯と薪窯を備えた市陶芸センター(蛸島町)の復旧を会として市に要請した。

  ●76歳「神様がもうやめろ、と…」 工房全壊の田端さん

 焼き物の神様に、そっと肩をたたかれた気がした。珠洲市三崎町二本松の工房が全壊した田端和樹夫さん(76)=三崎町本=は2007年の能登半島地震を含む3度の地震に見舞われ、その度に窯を建て替えたり修理したりして乗り越えてきた。しかし、被害が大きかった今回は再建のめどが立たず、32年の作家人生にピリオドを打つ決断を迫られている。

 元日夕、七尾市の旅館「加賀屋」で開かれた作品展に出品した田端さんは、展示会場で揺れに襲われた。珠洲に戻った2日朝、工房の惨状を目の前にして言葉を失った。

 崩れ落ちた屋根が、窯を囲むブロックにのしかかっていた。窯はれんが4500個のうち数百個が崩れ、天井にはぽっかりと穴が空いていた。倉庫に保管してあった作品は床に落ち、砕け散っていた。窯は昨年5月、震度6強の揺れで壊れ、修理したばかりだった。

 1992年、45歳で珠洲焼の道に入った田端さん。薪(まき)窯を使って、桜の木などこだわりの素材で灰を作り、色彩や削り模様を描き出す。「次々に新しいことをしないと進歩がない」。地震がなければ、1月中旬から窯たきに入り、新作を試そうと意気込んでいた。

 07年の地震では「焼き物の神様が『もっといい物を作れ』と作品を壊した」と感じたが、今回は違った。「もうやめろ。ゆっくり休め、と言ってくれてるんやろうか」。田端さんは声を絞り出した。(向島徹)

 ★珠洲焼(すずやき) 古代の須恵器の制作技術を受け継いでいるとされる陶器。12世紀後半から15世紀末に生産され、日本海側で広く流通したが急速に衰退し姿を消した。1970年代に市や珠洲商工会議所が復興への取り組みを始め、2019年には復興40周年を迎えた。

© 株式会社北國新聞社