尼崎の名物ファン「トラのおばちゃん」 ド派手衣装に秘められた理由、好きになれなかった阪神なのに…

2003年の写真と並ぶ「トラのおばちゃん」こと引田孝子さん。自身の居酒屋には阪神グッズが並ぶ=尼崎市西難波町6、尼のトラのおばちゃんの店

 「ここ数年で一番忙しかったねぇ」。2023年を振り返りながら、引田孝子さん(80)がラーメンを振る舞ってくれた。阪神タイガースの試合がある日はド派手な衣装に身を包み、球場で、自身の店で声援を送る「トラのおばちゃん」だ。名物ファンとして知られるが、二十数年前は野球のルールさえ知らなかった。故郷での貧しい日々、夫の借金、最愛の人との別れ、そして、阪神との出合い-。引田さんが半生を振り返った。(池田大介)

 1944年1月、宮崎県日向市の漁師の家に9人きょうだいの三女として生まれた。生活は常に苦しく、休日も畑仕事にいそしんだ。中学卒業後、岐阜県のタイル工場に集団就職。だが、工場は完成しておらず、土木作業に従事させられた。慣れない土地で重い土のうを運ぶ毎日。体調を崩し、1年ほどで帰郷を余儀なくされた。

 地元の工場で2年ほど働いた後、親戚のつてで兵庫県尼崎市内のパン店に就職。朝から晩まで働きづめだったが、出会いもあった。突然、同僚の男性から求婚された。懇願されると悪い気はせず結婚を決めた。「断れない性格なんですよ」

 2人の子に恵まれ、資金をためて10年ほどでパン店を開業。生活も安定し、遊園地や動物園に行く余裕もできてきた。が、穏やかな日々は長くは続かなかった。店の運営費を知人にだまし取られた夫が自暴自棄に陥った。つらかったが、「私がいない方が夫のためになる」と離婚を決意。自身でスナックを切り盛りしながら、子どもを育てた。

 ある日、仕事前にパチンコ店で玉を打っていると「大当たり」が出た。気分が良くなり、隣の男性に1カートン分のたばこを譲った。その夜、男性が10人前のすしを担いで店に来た。「お客さんと食べてや」。たばこのお返しだった。細やかな気遣いができる優しさに引かれ、付き合いが始まった。

 阪神・淡路大震災では同居していたマンションで被災。2人でがれきをかき分けながら、数時間かけて抜け出した。「運良く助かった命、大切に生きよう」。互いに誓い合った。 ### ■「あの人と 日本一、見たかった」

 男性は大の阪神ファンで、おにぎりと座布団を持って甲子園球場に行くことも多かった。勝てば子どものように喜び、負けると不機嫌になって相手チームを批判する。わがことのように一喜一憂する姿は理解できず、阪神は好きになれなかった。

 99年4月、男性の上司から電話がかかってきた。「(男性が)けがをした」。焦っているようですぐに電話は切れた。再び電話が鳴った。「先ほど亡くなった」。あまりに急な出来事に理解が追いつかなかった。病院に駆け付けると片腕を包帯で巻き、静かにベッドで横たわる男性がいた。ただただ泣くしかなかった。

 カラオケで思いっきり歌ったり、球場でおにぎりをほおばったりした日々が常に頭をよぎる。突然の別れを受け入れられず、漫然と日々を過ごした。

 その年の盆、夢枕に男性が立った。黒のジャンパーを羽織り、落ち着いた表情で見つめてくる。思わず声が出た。「泊まってって」。すると、ネコが2階から飛び降りた音が「ドンッ」と響き、男性も消えた。亡くなってもなお、見守ってくれている。なら、阪神の試合にも…。

 「ルール分かったら面白くなるのに」。男性の言葉を思い出し、知人に教えてもらいながら学んだ。男性が天国からでも見つけやすいようにと、トラ柄の衣装に身を包んで甲子園に通った。なじられることもあったが、男性が見ていると思うと気にならなかった。衣装は徐々に派手になり、いつの間にかあだ名がついた。「トラのおばちゃん」

 2018年には、尼崎市西難波町6に居酒屋「尼のトラのおばちゃんの店」をオープン。店内は見渡す限り阪神グッズで埋め尽くされている。毎年、リーグ戦が始まると阪神ファンの友人や常連客が続々と集まり、38年ぶりの日本一も店で見届けた。

 昨年11月のVパレード以降、引田さんにもシーズンオフが訪れた。連日身に着けていた黄色のかつらやトラ柄の羽織もしまった。「夢枕に立たれて、人生が180度変わってしまった」と男性の写真を眺めながらぽつり。「38年ぶりの日本一。うれしいね。よかったね。一緒に見たかったね…」。涙を浮かべながら、写真に語りかけた。

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