能登半島地震、ボランティアの数少なく 自粛や「SNSでたたかれる」萎縮する人も 1カ月で2739人、阪神・淡路は62万人

足湯を提供する神戸大の学生ボランティア(右)。被災した住民に喜ばれた=1月、石川県七尾市(撮影・笠原次郎)

 能登半島地震で、災害ボランティアのあり方が問われている。発災1カ月が過ぎても、災害ボランティアセンター(ボラセン)を通じて活動しているのは延べ2739人。阪神・淡路大震災では発生1カ月で延べ62万人だった。「ボランティア元年」から29年。自立した市民社会の後退を危惧する声も出る。 ### ■「プロとアマを区別してしまう空気」

 1月中旬。「神戸国際支縁機構」(神戸市垂水区)のメンバーは石川県珠洲市に連絡を取り、医師や看護師と一緒に避難所を訪問した。そこに医師はおらず、避難者らの体調も心配されたが、活動を断られたという。市に問い合わせると、「現場に任せているので」と言われた。

 国内外の被災地支援に携わってきた同機構。岩村義雄代表(75)は「能登では、災害派遣医療チーム(DMAT)など公的に認められた団体でなければ活動しにくい。プロとアマを区別してしまう空気がつくられてしまった」と嘆く。

 背景の一つに、交通事情などを理由としたボランティアの自粛ムードがある。石川県によると、現地で活動した一般募集のボランティアは2月16日時点で、延べ2739人。公的なボラセンに登録し、活動した人数だ。同県は「個別に被災地に行くことはお控えください」と呼びかけている。

 一方、食料や宿泊場所を自ら確保し、得意分野で支援する「専門ボランティア」は114団体が現地入り。国などと連携する「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)」がコーディネート役だが、神戸国際支縁機構など所属していない団体は活動していてもカウントされない。 ### ■東日本大震災でも

 ボランティアの自粛ムードは東日本大震災(2011年)や熊本地震(16年)などでもみられた。

 議論の源流は阪神・淡路大震災だ。当時全国から駆けつけたボランティアの活動をどう捉えるか。「混乱」と「自由」の両側面が指摘されたが、大阪大大学院教授の渥美公秀さん(62)=災害社会学=は「行政側は『混乱』と捉え、全て管理したいという空気がその後、出てきた」と指摘し、続けた。「市民活動を信じない風潮が根底にある」

 渥美さんによると、能登半島での活動を希望する学生もいるが、「SNS(交流サイト)でたたかれる」と萎縮し、被災地入りを諦めているという。渥美さんが副理事長のNPO法人「日本災害救援ボランティアネットワーク」(西宮市)は独自の拠点をつくり、ボランティアを受け入れるつもりだ。

 「被災地NGO恊働センター」(神戸市兵庫区)顧問の村井雅清さん(73)も阪神・淡路で殺到したボランティアについて「行政は混乱したが、被災地は助かった」と振り返る。

 当時は多くがボランティア初心者。「失敗や間違いもあったが十人十色、みんな自分で考えて動いた」。聴覚障害者に気付いてもらえるよう「肩をたたいて」と書いたプラカードをぶら下げて歩く人もいた。

 新たな市民社会の到来を感じさせた29年前を振り返り、村井さんは言う。

 「市民が自主的に動ける文化がなくなっていると感じる。あの時のボランティアたちに申し訳ない」 (高田康夫)

【災害発生後のボランティア】兵庫県の記録によると、阪神・淡路大震災の発生から1カ月間で活動したのは約62万人。1年では約137万人だった。東日本大震災では、災害ボランティアセンターを通して活動した(岩手、宮城、福島県)のは発生50日で約23万人。およそ1年で約102万人。いずれも延べ数。

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