カーメロはレイカーズ移籍寸前だった?「ニックスのことは考えてなかった」と知られざる当時の内情を語る<DUNKSHOOT>

カーメロ・アンソニーはレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)と同じ2003年ドラフト組の1人であり、昨年5月に現役を引退するまでNBA史に名を残すスコアラーとして人々の記憶に刻まれた。2011年には生まれ故郷ニューヨークのチームであるニックスへ移籍したが、当初は“凱旋”をまったく考えていなかったと明かしている。

カーメロはレブロンやクリス・ボッシュ、ドゥエイン・ウェイド(ともに元マイアミ・ヒートほか)らが名を連ねた2003年のドラフト全体3位指名でNBA入り。デンバー・ナゲッツ、ニューヨーク・ニックス、オクラホマシティ・サンダー、ヒューストン・ロケッツ、ポートランド・トレイルブレイザーズ、レイカーズと渡り歩き、19年間でNBA歴代32位の通算1260試合に出場した。

2012-13シーズンに得点王(平均28.7点)に輝くなど、通算2万8289得点は歴代9位にランク。オールスター出場10回、NBA75周年記念チーム選出のほか、アメリカ代表としても五輪金メダル3回と、将来のバスケットボール殿堂入りは確実視されている。
ニューヨーク市ブルックリン出身のカーメロは、2011年2月に3チーム間トレードでナゲッツからニックスへ移籍。「I'm Coming Home」(ただいま)という言葉は多くのニューヨーカーたちの心に響き、カーメロもチームのために全力を尽くした。自身のポッドキャスト『7PM in Brooklyn』で、「ニューヨークに行きたかったか」という問いに対して、「ニューヨークは決して望んでいた場所ではなかった」と答えている。

「みんなは、俺が『デンバーから出してくれ』というふうに移籍したと捉えていたけど、決してそんなことはなかった」

カーメロは、ナゲッツが2009年のカンファレンス決勝でレイカーズに勝っていたら(シリーズ2勝4敗で敗退)、NBAファイナルでオーランド・マジックに勝って優勝していただろうと回想(同シーズンはコビー・ブライアント擁するレイカーズが優勝)。その上で、変化を必要としていたチームに対してあることを伝えたという。
「俺はチームを再建したいわけじゃない。『ここ(ナゲッツ)から出たい』とは言っていない。でも、『俺に君たちのカード(プラン・選択肢)を見せてくれ』と伝えた」

ナゲッツは当初カーメロを引き留める意向だったが、2010年夏、両者はトレードが最善の解決策だと悟った。カーメロによれば、シカゴ・ブルズも交渉のテーブルに就いていたというが、実際にはレイカーズとのトレードが成立寸前だったという。

「ラマー・オドムと(アンドリュー)バイナムの交換で、俺とネネがレイカーズに行く内容だった。ニューヨークのことは考えていなかった。契約成立が流れたのは、今考えると、『俺をウエストに行かせたくないんだな』という感じさ。『イーストに行かせるつもりかい?じゃあ、ニューヨークへ行かせてくれ』ってね。あのトレードは起こるはずじゃなかった。でも、結局ニューヨークへ行くことになった」
また、カーメロは「ニュージャージー(ネッツ)には行かない」とナゲッツのフロントには伝えていたとも明かし、「ブルックリンに移転するなら行く。でも、ニュージャージーには行かない。プレデンシャル・センター(ニュージャージー・ネッツ時代の本拠地)ではプレーできない」と冗談交じりに語った。

結果的にカーメロは移籍したニックスでエースとして君臨。リーグタイトルを獲得することはできなかったが、生まれ故郷でのプレーは彼のキャリアにとって意義のあるものだったと言えるだろう。

構成●ダンクシュート編集部

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