母の墓参かなわず… ウクライナ侵攻から2年 長崎・島原在住オレナさん 残る家族に思い募る

軍事侵攻前のスムイ郊外の小麦畑を笑顔で駆け回る長女ミレイナさん(オレナさん提供)

 ウクライナ出身で長崎県島原市在住のグリニェンコ・オレナさん(40)はロシアの軍事侵攻開始から2カ月後、地下室に避難していた母を脳梗塞で亡くした。63歳だった。だが、2年が過ぎた今も墓参はかなわず、母国への思いは募る。
 日本人男性との結婚を機に2011年に来日。島原市に夫(55)と長男ミランさん(12)、長女ミレイナさん(10)の4人で暮らす。故郷はロシアとの国境に面したウクライナ北東部のスムイ州で、一時的にロシアの占領下に置かれた。そこに父や姉が今もとどまり、義兄は国境地帯を守る兵士。家族らの安否に気をもむ毎日を過ごす。
 開戦直後はロシア軍が戦車で侵攻し、実家からわずか数百メートルの市街地にミサイルが着弾。氷点下の中、集中暖房システムや発電所も破壊され、母は避難所の地下室で十分な医療を受けられないまま亡くなったという。帰国はかなわず、葬儀にはオンラインで参列。亡き母に「会ってさよならを言えず、ごめんなさい、行くことができず、ごめんなさい」と伝えた。
 ロシア軍はスムイ州から既に撤退したが、スマートフォンの空襲警報通知アプリからは今も昼夜を問わず警報が届く。22日には国境近くの集落に約50発の砲撃があり、首都キーウなどを狙ったミサイルやドローンも故郷の空を頻繁に通過している。
 母と最後に会ったのは、コロナ禍前の19年夏に帰国したとき。スマホには故郷の小麦畑を元気に駆け回る長女の写真が収められている。「ロシア軍がいなくなっても、森の中にはまだ地雷が残っているはず。私のムリーヤ(ウクライナ語で夢)は戦争が早く終わり、再び故郷で子どもが自由に遊べる日が来ること」

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