「ノロ」は琉球王国の公務員、「ユタ」は民間の呪術師…宇検村には“神女”の息遣い伝える資料室があった

ノロが祭事で使った神扇などが並ぶ宇検村歴史民俗資料室=同村湯湾

 鹿児島県・奄美群島と沖縄県には祭祀(さいし)や住民の生活に深く関わり、信仰対象とされた「ノロ」と「ユタ」がいた。「ノロ」は、奄美を15世紀半ばから150年ほど支配した琉球王国が置いた女性神職を示す。「ユタ」は霊的な能力を持ち、悩みごとの相談を受けるなど身近な存在だった。人々があがめた“神様”の歴史を学びに、宇検村の資料室を訪ねた。

 宇検村湯湾の生涯学習センター「元気の出る館」の歴史民俗資料室は、ノロが祭祀で使った神扇や衣装など約20点のほか、写真とパネルを多数展示。“神女(しんにょ)”の息遣いを伝える。

 神扇は「テロギ」と呼ばれる。ノロが両手にささげ持ち、俗界と隔てる神垣をつくったと考えられる。縁起がいいとされた瑞雲(ずいうん)や鳳凰(ほうおう)が描かれ、幅50センチを超える。頭に巻く鉢巻き「サジ」、三角布をつなぎ合わせた髪飾りもある。

 同村は、琉球王国から430年前に下賜された屋鈍ノロの辞令書を保管(非公開)する。押印も確認でき、1594(万暦22)年9月28日と記される。

 島内の他自治体に比べ、同村にはノロ関連の資料が比較的多いという。学芸員の渡聡子さんは「他の宗教があまり入っておらず、祖先崇拝やノロの祭事が心のよりどころだったのでは」と話した。

◇東北地方の「イタコ」に近い存在か

 ノロ、ユタを現代の仕事に重ねると、ノロは琉球王国の公務員、ユタは民間の呪術師だろうか。

 琉球王国の統治体制が奄美でも適用され、集落の農耕や宗教儀礼をつかさどる神役のノロがいた。女性のみが務められ、1609年の薩摩藩による侵攻で奄美群島が琉球王国から切り離され公的な身分を失っても、家筋の女性で世襲してきた。学芸員や研究者の多くが「現在はほとんどいないのではないか」と話す。

 ユタはノロと違い、男性もいる。神霊による不調や精神的な苦痛を経験した後、修行を積んで霊力を得る場合が多いという。

 起源、いつから存在するかなどは分かっていない。東北地方の「イタコ」に近い存在とされ、神や精霊と交流する。占いやおはらい、死者らの霊を呼び寄せ語らせる「口寄せ」を行う。

〈関連〉ノロの辞令書(宇検村教育委員会提供)
〈関連〉宇検村の位置を地図で確認する

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