「日本語ゼロ」から大学へ ホンジュラス出身、長崎の高3・木庭愛子さん 「先生4人の支えに感謝」

思い出話に花を咲かせる(左から)柴原教諭、愛子さん、聖乃さん=長崎市内

 長崎県長崎市の高校3年生、木庭愛子さん(18)は中米ホンジュラスで生まれ育ち、中学1年の時に来日。スペイン語しか話せず「日本語ゼロ」で暮らし始めた。長崎で出会った4人の“先生”の支えもあり、日本語能力試験の最難関「N1」に昨年合格。この春、高校を卒業し、県内の大学に進む。「4人の先生の存在は大きい。大切な人」。感謝の思いを胸に、夢への一歩を踏み出す。
 愛子さんは2005年、国際協力機構(JICA)の活動でホンジュラスに赴任した長崎市出身の父と、ホンジュラス人の母との間に生まれた。父は同年、帰国し、離れて暮らしていたが、愛子さんは「日本に行ってみたい」と決心。18年3月、1人で来日した。
 同年5月、市立岩屋中に転入。佐藤俊介教諭(43)にとって海外ルーツの生徒の担任は初めて。教室に地球儀やスペイン語の単語集などを置き、同級生もあいさつができるよう練習。佐藤教諭も日常会話を学び、愛子さんは「先生も勉強してくれたから、日本語を頑張ろうと思った」と語る。
 佐藤教諭との出会いから不思議な縁が広がり始めた。大学の同級生で隣接校に勤めていた柴原由布子教諭(43)に愛子さんの存在を伝えると、柴原教諭がかつてホンジュラスに滞在していた際、愛子さん家族と会ったことが分かった。
 柴原教諭は19年、岩屋中に転勤し、愛子さんの担任に。隣で授業を受け、スペイン語に訳すなど親身にサポートした。柴原教諭は愛子さんの中学生活をこう振り返る。「宗教的な規制もなく、同級生ら人に恵まれたのも大きいが、日本の文化になじもうとした本人の努力が大きい。日本語の上達も速かった」
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 19年にあった人権教育をテーマにした研修会。同校の別の教諭が愛子さんの受け入れ事例を報告した。すると、参加していた日本語教師の宮崎聖乃さんが愛子さんへの支援を申し出た。「学習言語として日本語が不足している」。海外ルーツの子への教育支援をする市民団体で共同代表を務め、愛子さんへの専門教育の必要性を感じたからだ。
 支援の輪は大きくなった。当時、長崎外国語大の特別任用講師だった宮崎聡子さんも加わり、週1回ずつ文法読解などを愛子さんに指導。コロナ禍や、聡子さんが県外に転居後もオンラインで“授業”を続けた。
 愛子さんは、何でも気軽に相談できる聖乃さんを「日本の母」と慕う。高校卒業後の進路を迷っていた愛子さんの背中を押したのも聖乃さんだった。「愛子さんならいけるよ」。その言葉を支えに県内の大学の推薦入試を受け、国際系の学部に合格。聖乃さんはわが事のように喜んだ。
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 高校の卒業式を控えた今月25日、柴原教諭と聖乃さんが愛子さんのもとを訪ねた。愛子さんは日本国籍を昨年取得したことなどを報告。「JICAの職員になりたい。ジャーナリズムにも興味がある。ホンジュラスの現状を世界に発信したい」と将来の夢を語った。「これまでの経験を大切にして、いろいろなことに挑戦してほしい」。2人はわが子の成長を喜ぶ母親のように優しく見詰めた。

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