能登半島地震から2カ月。石川県七尾市への帰省中に被災した女性が語る『日々の備えの大切さ』【高知】

元日の能登半島地震から2か月が経ちました。石川県内では、3月1日時点で避難者は1万1000人あまり。断水は1万8000戸あまりで、いまだ被災地では不自由な生活を余儀なくされています。

被災地の1つ、七尾市の実家で帰省中に被災した高知県内の女性に備えの大切さを聞きました。

2月17日。高知市で開かれた高知龍馬マラソンの関連イベントの会場に登場したのが高知市役所踊り子隊です。

宮崎美春さん(32歳)。イベントを見に来たランナーをぐるっと隊列で囲むようにして正調の舞を披露しました。17年前、石川県からよさこい移住した宮崎さん。

宮崎さん

「楽しいですね、よさこいは。年の始まりから大変なスタートだった。今年はちょっとでも能登の復興が進む1年になってくれたらいいなと思う」

1月1日午後4時10分に発生したマグニチュード7.6の能登半島地震。宮崎さんは帰省した石川県七尾市の実家で震度6強の揺れに遭いました。長女や長男、両親など家族8人で新年を過ごしていた宮崎さん。

宮崎さん

「家の目の前も段差がある。ちょっと歩いたらブロック塀が倒れている家、つぶれている家も。窓ガラスが割れている家。車に瓦が落ちていて車のガラスが割れていたり。とりあえず逃げないとが先に。家を出たくらいで警報が鳴りだした、大津波警報が防災無線から、高台に避難してと。とりあえず逃げないと」

実家が崩れることはありませんでしたが、2か月経った今も断水が続いているそうです。

宮崎さん

「まず一番に感じるのはトイレと風呂。2か月くらい経つが今も水は通っていない。私も家に帰った時に不便感じたのはトイレ。(どんな風にしているか)トイレにゴミ袋をかぶせて、そこにペットシーツみたいなのを入れて。そこでトイレをしてくくって捨てる」

七尾市では、1997年から地元の和倉温泉を盛り上げようと能登よさこい祭りが毎年6月に開かれています。宮崎さんの父・明さんが参加チームの代表をつとめていたことから、自然と宮崎さんもよさこいにはまりました。中学卒業後、すぐに高知へよさこい移住を決めた宮崎さん。高知高専を卒業後、高知市役所に入りました。よさこいに出会ったきっかけ、原点となった能登の「よさこい」が今後どうなるのか心配しています。

宮崎さん

「まだ水も通っていないような状況なので。和倉温泉という温泉街を盛り上げようという祭り、和倉温泉あってこその祭り。和倉温泉の復興と共に能登よさこいも復活してもらえたら嬉しい。ぜひ、祭りが復活したら踊りにいきたい。復活して欲しい。よさこいに出会ったきっかけなので、原点なのかなと思っている。それがないとよさこいに出会っていないし、高知に来るというきっかけももらえていない。能登よさがあったから今の私がある」

地震を経験して、宮崎さんが分かったことがあります。

宮崎さん

「(家が)崩れてきて逃げられなくなったら終わり。家の耐震は必要と今回の地震で改めて感じた。家具は固定しないといけないと本当に思った。揺れによっては倒れてしまう家具、そこで逃げ場がふさがれてしまうと思ったら、とりあえず家具は固定しないと。何も荷物を持たずに貴重品も何も持たずに、持てずに出たので、防災グッズを構えている人は持っていける動線に置いた方がいい。南海トラフ地震は今後30年の間に70%から80%発生する予想。一人ひとりの意識、難しいことを考えなくていいと思うが、いつもより水を多めに置いてみようとか、ガソリンが半分切ったら入れようとか、ちょっと町を散歩して危ない所がないか見てみようとか。そういうちょっとした意識から少しずつ備蓄していくものを増やしていくとか、耐震につなげていくとか、段々ハード面につなげていったらいいと思う」

必ず起こると言われる南海トラフ地震。私たちも日々の備えを改めて見直す必要があります。

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